Scarsdale station area
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難しくなるニューヨーク州の高校卒業試験 1.16.99 

ニューヨーク・タイムズが昨年11月8日、ウェストチェスター版で取り上げた、ニューヨーク州教育省の新しい高校卒業資格(本誌591号に記載した)については、その後各学校に問い合わせがあいついだようだ。スカースデール高校では11月下旬、保護者を対象に説明会が開かれ、地方新聞もその後連載でこの件について報道した。

説明会では、リージェンツ(州試験)の対象となる主要5科目(ソーシャル・スタディは、世界史,アメリカ 史の2科目)の教師に続き、特殊教育,ESL教師、ディーン代表がそれぞれに新しいテストに対する見解と指導法について語った。それによると、教師のほとんどは、新しいリージェンツが大半の生徒には問題がないとしながら、すべての生徒が同じテストに合格しないと卒業できないと言う教育省の決定には懐疑的であるという。

ESL教師のロスさんは、「外国人の生徒がネイティブと同じように英語の読み書きができるようになるまで7年はかかると言われることを考えると、短期滞在の生徒にアメリカ人と同じ英語のテストはどう考えても公平ではない」と訴え、特殊教育の教師ブラウンさんも、「これまでのあり方で卒業後も何も問題はなかったのに、新しい試験は、他人に処方された薬を無理矢理飲まされるようなもの」と不満を隠さない。

校長のクレミさんは、これに対して、サポートの必要な生徒に学校は特に万全を尽くしてその指導にあたっているとする一方、教育省に対して、一斉テストの見直しを嘆願し続けると語っていた。

ニューヨーク州教育省は新しいリージェンツを実施する理由を、州全体の教育水準をあげるためとしているが、全体で約10%の卒業生が卒業前に退学してしまう現状からも、試験を難しくすることで帰ってその数を増やしてしまうのではないかと懸念する声も少なくない。

一斉テストの施行によって卒業証書が州発行になることにも、各学校の特色が薄らいでしまうと憂慮する声もある。日本で教育の個別化が叫ばれている時、ニューヨーク州教育省が日本の文部省を思わせるような中央集権的な方法で問題に取り組もうとしているのは私にはとても興味深い。今後の成り行きが注目される。

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学校のランク付け  2.12.90

「ユーエス・ニューズ・アンド・ワール・ドリポート」は1月18日号でシカゴ大学の全米オピニオン・リサーチ・センターとの共同調査の結果、「ベスト」に選ばれた96の郊外の高校を発表した。それによると、ニューヨークでは、エッジモント、ブライアクリフ・マノアー、ナイヤック・ハイスクールの3校が最優秀校の栄誉に輝いている。

昨年3月30日には「ニューズ ウィーク」が高校の全米ベスト100を発表したが、その際、スカースデールは7位、隣町のエッジモントは54位となっていたことから、今回ベスト96のどこにも名前が登場しなかったことに疑問を感じた住民が少なくなかったようだ。マックギル教育長は、教育員会の席上、そうした疑問に「今回の調査は、その趣旨に賛同できなかったため、協力を見合わせた」と応えている。

エッジモント高校は、郵便局の管轄がスカースデールのため、スカースデール学区と間違われることが多いが、小学校が2校、中、高校がそえぞれ1校の小規模な学校で、スカースデール学区と並んで環境の良さと教育水準の高さで知らている。お互いに隣接して、いろいろな面で共通点の多いこの二つの学校は、何かにつけ相手を意識しあっているところがあるようで、今回も地方新聞の「スカースデール・インクアイアラー」の読者どうしの応酬にその様子がかいま見られて面白かった。

まず、スカースデール中学校の教師、アービン・スローンさんが、自分のコラムの中で「競争率を煽って利益を上げようと目論むメディアに利用されているようなこうした調査に協力しなかった教育長の決断に住民は誇りを持つべき」と書く。 すると翌週、「スローンさんは、もっと大人になって隣の町の学校の栄誉を称えるべきだ。優秀なのはスカースデール学区だけじゃない」「スローンサン は、スカースデールがベストに入らなかったことを苦々しく思っているだけだ」などと言う反論が寄せられる。 それに対してその次の週には「スローンさんは、熱心な教師としてスカースデール住民の疑問に応え、競争を煽るだけが目的のこうしたランク付に苦言を呈したのだ」という意見が載る。

学校のランク付ヶ、何をもって優秀とするか、順位などでは計り知れない様々な問題を含んでいることが分かる。

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「誇り高き駐在員夫人」を読んで 2.26.99

本誌593号の「オープンレター」に寄せられた「誇り高き駐在員夫人」と言う記事を読んで、何年か前に日本で出版された「イエロー・キャブ」と言う本のことを思い出した。多くの若い日本女性がニューヨークで不真面目な生活をしているように書かれたこの本に対して本誌にも反論がよせられたが、ほんの一部を見て、あたかも全体がそうであるかのような書き方をした作家の欺瞞生が問題にされたように記憶している。

今回の投書の主は、文面から察する所、ご本人も駐在員夫人のようなので、自分をも誤解されてしまいかねない「駐在員夫人云々」の書き方をされたことにまず疑問を感じたが、それにもまして、一人の人に感じた憤りを安易に全体に重ねて論じるという、その姿勢にとても気になるものを感じた。一を見て十を悟ると言うようなそうした姿勢は、同胞の場合はともかくとして、多様文化の中では、「人種偏見」につながりかねない危険性を感じたからだった。

世の中にはいろいろな人がいるので、投書の中のような人も存在するのだろう。しかし私が過去十数年様々な活動の中で接してきた「駐在員夫人」に限って言えば、どの方もよき妻として母親として、それぞれに悩みをかかえながら真摯に生きておられるように思う。「一人の女性」としてボランティア活動に参加する彼女たちの口からご主人の会社や地位が話題になることは極めて少ない。

スカースデールでは、「ヒストリカル・ソサイアティ」の要請に応じてこの2月から1週に一度、5回にわたって日本文化紹介活動を行うことになっている。この件でボランティアを募集したところ、早速一面識もない多くの方に応募をいただいて、とても嬉しい思いをした。グリニッチ日本人学校の教育文化交流センターではまた昨年までの5年間、皆様と日米交流活動をさせていただいたが、その時も参加者のほとんどは、地域に対して何かできることはないかと自分の方から問い合わせてくださった方々だった。 投書をされた方が、ニューヨーク滞在中、様々な活動を通してアメリカ人との触れあいもさることながら、こうした同胞女性とのすばらしい出会いを得て帰国されることを心から祈らずにはいられない。

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変わる町議会選 2.26.99

3月のスカースデール町議会議員選挙に異変が起きている。この町では、70年来、各町内から選ばれた指名委員が話し合いによって、議員の候補者を推薦し、最終的に住民投票にかけるという方法で行われていた。シティズン・パーティと呼ばれるこの党から選ばれる議員たち(6人の議員と町長)は、政党に関係なく長年様々な分野で地域活動を続けてきた知名度の高い人たちで、その仕事が無報酬なこともあって、「党派の争いや汚職のない理想的なシステム」として、長く住民にうけいれらてきた。

所がそうした方法は、「一党独裁で、民意を反映していない」として、数年前にはじめてハリソンという人が対抗馬として立候補した。その年は落選したものの、2年後、「スカースデール・デモクラシー・プロジェクト」と言う新しい政党を作って3人の候補者の一人として、再び挑戦。今年は、指名委員から推薦されているシティズン・パーティの4人の候補者と町長職を除く3議席を6人で争う。 新しい政党の出現によってこれまで対抗馬を立てず、静かに行われていた選挙が至る所で開かれる候補者の説明会や、討論会などで町が急に盛り上がっている感があるが、選挙のありかたが変わろうとしていることに危惧感を抱く住民も多い。 元スカースデール町長の一人、ジェンセンさんは、それについて、「これまでのやりかただと、それまでの地域活動を通して、その人となりや能力などがよく知られている人たちが選ばれたが、一般選挙ではこうはいかないだろう。」と言っている。 彼は続けて、議会は一部のエリートによって動いている訳ではなく、ボランティア活動に熱心な人材で構成されているとして、だからこそこの町はうまく運営されているのだ、と強調する。 「シティズン・パーティ」のやり方が、密室的でもはや時代にそぐわないとして、幾つかの公約をかかげて運動を展開している「スカースデール・デモクラシー・プロジェクト」の政策が最終的にどこまで住民の賛同を得るられるか、注目される。

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チャーター・スクール 3.12.99

今、ウェストチェスターにチャータースクール設立の動きが起きている。中心になっているのは、ウストチェスター周辺の小学校で30年にわたり主に2年生の子供たちを受け持ってきたパーチェス在住のイレーン・ヤングさん。来年9月にはウェストチェスターで初のチャータースクールを開校させたいと、関係機関への申請や場所探しに多忙な日々を過ごしている。

チャータースクールとは、父母や教師などに設立権が与えられた公立学校(チャーター=特認の免許状)で、財政は公的資金で賄う。公立学校を規制している一切の規則をなくす代わりに運営にあたるものは、テストの結果を公表するなど教育結果に責任を持つ。

1991年に最初のチャータースクール法がミネソタ州で可決されて以来、現在までにニューヨーク州を含んで34州で法案が成立。クリントン大統領は、21世紀までには全州で3000校のチャータースクールを設立したいとしているが、1999年2月現在、その数は1208、開校予定の学校数は190校となっている。

チャータースクールの基本的な理念は、既存の公立学校のシステムに合わない生徒、特別なニーズを持った生徒に様々な選択肢を与え、教育者や父兄、地域住民が理想とする教育を実施する機会を提供することにある。 チャータースクールは、住民の税金で賄われると言う点では公立学校でありながら、独自の教育理念に基づいて運営されると言う面では私立学校の特徴をもっている。このため、今回の設立の動きにも、「公立学校との競争を煽り、結果的に地域の教育全体を活性化する」として歓迎の声がある一方、「公立学校に取られている予算の分配が少なくなる」と、強力に反対している人たちも少なくない。

ヤングさんは、規制の多い今のシステムでは子供たちが本当に求めていることに応えていないとして、「私の理想は、子供たちが参加して定めた教育理念に従って、子供たちが主役である教育の場を作ること」と、言っている。

全米に広がる従来の公教育の枠を離れた新しい学校づくり、その波は、確実にウェストチェスターにも押し寄せてきている。

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コミュニティカレッジ  3.28.99

私どもは、このほど日米の有志で「ジャパン・アメリカ・コミュニティ・アウトリーチ」(JACO)と言う非営利組織を設立した。目的は、草の根レベルでの日米相互理解の促進で、ウェストチェスター・コミュニティ・カレッジ(WCC)にオフィスをおき、周辺地域住民を対象に、日米交流のための様々な活動を行う。

JACOの活動がウェストチェスター・コミュニティ・カレッジのキャンパスを本拠地として行われることになったことで、これまで身近に存在しながらほとんど知ることのなかったコミュニティ・カレッジについて学ぶ機会が与えられ、アメリカの大学の多面性にあらためて新鮮な驚きを感じている。

コミュニティ・カレッジは、地域のニーズに応じて設立された2年制の大学で、全米で1132校、ニューヨーク州で61校存在する。WCCは、全米最大のコミュニティ・カレッジなのだそうで、生徒数2万人以上、その他に成人学校の生徒が3000人ほど在籍する。授業料は、プライベートはおろか州立、市立の大学に比べても格段に安いが、生徒が支払う額はコストの38%で、その他は、カウンティや州の税金、企業、個人、の寄付などで賄われる。ウェストチェスター住民がカウンティへの税金を通してコミュニティ・カレッジに支払う額は一戸平均で16ドルとか。

授業料が支払えない生徒は、様々な奨学資金を受けることが出来るし、入学することも比較的簡単なので、コミュニティ・カレッジは、やる気さえあれば、誰にも門戸が解放されていることになる。学生の平均年齢は、フルタイム、パートタイムあわせて、28.2才と一般の大学に比べるとかなり高いが、これは、一旦就職してから復学する人たちが多いからで、何度もやり直しのきくアメリカの柔軟性がここにもあらわれている。

ウェストチェスターは、現在、全米でも有数の移民の多い地域なのだそうで、予想によれば、2020年までには白人の数は全体の半分以下になるという。最大数を占めるのは、スペイン語を話す人たちだが、全体では160の国から法的に移民した人たちがウェストチェスターに居住している。こうした移民の全てに均等な教育と就職の機会を与えることは、結果的には地域全体を潤すとして、WCCが果たすべき役割は以前にまして大きくなっているようだ。

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同性愛 4.9.99

スカースデール高校では去る3月23日夜、PTカウンシル(学区全体のPTA)主催で、「同性愛」をテーマとした講演とパネル・ディスカッションが開かれた。プログラムを企画したのは、スカースデール高校のヘルス教師と学区のヘルス・コーディネーターの二人。公に話しあいにくいテーマであることや、はじめての試みと言うこともあって、その進め方や人選など、準備に2年を費やしたと言う。

プログラムは先ず、基調講演からはじまり、スピーカーのゲイ・アンド・レスビアン・ステュ−デント・エデュケーショナル・ネットワ−ク代表フランクファートさんが、「学校や地域社会で同性愛者に対する差別的言動が、あまりにも簡単に見過ごされている」として、性別、肌の色などと同様、自分ではどうすることも出来ない性的指向について、すべての人が正しい知識を持つべきであると語った。

次いで行われたパネル・ディスカッションでは、エール大3年に在籍する息子を持つ母親のケービーさんが、「高校10年生の息子にゲイであることを打ち明けられた時は、本当にショックだった」とその心情を吐露した。気持ちが落ち着いたあと、同性愛についてもっとよく知りたいと本を買いにいき、人に見られたないようにこっそりレジに持っていった所、そこにいた若い男性の店員に、「僕もゲイです。両親に言えなくて悩んでいるんですが、彼らにはどの本を買ったらいいでしょうか。」と相談される。彼女はそこであらためて同性愛者のおかれている厳しい状況を実感したと言う。

父親のミスター・ケービーは、「うちあけられた時は、世間体を気にするあまり息子がよく理解出来ず、冷たい仕打ちをしてしまった。」と、声をつまらせて話していた。ケービー夫妻はその後息子さんと以前のいい関係を取り戻したが、調査によれば、同性愛であることを打ち明けられた親の26%は子供を勘当し、誰にも相談出来ず、死を選ぶ若者は今も少なくないと言う。

高校生としてパネルに参加した「チューデント・アンド・ゲイ・アライアンス」(SAGA)クラブ代表2人のうちの一人、ヘンデルスマンさんは、「差別は、どんな形であるにせよ、許されるべきではない。」として、「SAGAでは、様々な話し合いを企画して同性愛に対する偏見を少しでもなくすようつとめている」と語っていた。

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ドライバーズ・ライセンス 4.23.99

16才のニューヨーク州ドライバーズ・ライセンス所得が難しくなろうとしている。今のところ、子供たちは、16才の誕生日を迎えるとすぐ、「learner's permit」と言う仮免許書を取り、その日から運転をはじめることが出来るが、現在、州で「graduated licensing」と法案が検討されているからである。

新しい法案では仮免の取得後、半年間は路上テストを受けることができず、この期間に違反をするとまた半年待たねばならなくなる。同時に、道路テストを受けるには30時間の運転経験が必要となり、仮免所有者の付添人もこれまでの18才から25才以上にひきあげられる。この法案は、路上の練習時間を増やし、机上で学ぶだけでは得ることの出来ない経験を積ませるため、事故の防止につながるとされている。

運輸省の調べによれば、ティーンェージャーの運転は、ドライバーの数では7%に過ぎないのに、事故の数では全体の20%をしめると言う。特に友達を乗せている時が多く、話に夢中になっているか、いい格好をしようとしてスピードをあげたりするのが原因であることが多いとか。昨年、高速でスピードをあげすぎて死亡し、その無駄な死で多くの住民を嘆かせたジェイスン君の場合も友人を乗せていて起きた事故だった。スカースデール学区では彼の事故をきっかけに学校や父兄、生徒の間で様々な話し合いがもたれていたが、その結果、PTA代表がこのほど改正のための陳情にアルバニーまで出かけている。

新しい法案は、あまりにも簡単だった16才のライセンスの取得にやっと歯止めがかかりはじめたとして、特にティーンェージャーを持つ親をホッとさせている。一方、「不死身 」のティーンエージャーには、時間がかかりすぎるとして賛同出来かねる所があるようだ。16才の誕生日を待ち焦がれていた近所に住むサミーさんは、「事故を起こすのに年齢は関係ないと思う。現状では路上テストの方法に問題はあると思うけれど、特に今の方法を変える必要はないのでは。」と、いささか不服そうだった。 

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校内乱射事件の余波 5.7.99

コロラド州、リトルトンのコロンバイン高校で起きた校内乱射事件は、その後各地で模倣的な事件を発生させている。ウェストチェスターでは、4月26日にオッシニング高校で、その2日後にはマウントバーノンの3つの学校で爆発物を仕掛けたと言う予告が入り、いづれも後に悪戯であることが分かったが、事態が解明されるまで学校全体を混乱に陥しいれた。

4月28日には、ブロックリンでも5人の中学生が学校を爆発させるために爆発物を作る計画をすすめていたとして警察に連行された他、カナダでは、コロンバイン高校の犯人たちと同じようなトレンチコートを着た14歳の男の子が2人の高校生に発砲、1人を死なせると言う事件を起こしている。「デイリー・ニュース」によれば、フィラデルフィア州ではここ1週間で52の学校に爆発物の予告があったと言う。同誌は、爆発物事件で早退となったブロックリンの中学校に娘を迎えにきた母親の、「明日は登校させるつもりだけれど、学校に幾つの明日が期待出来るのかしら」と不安そうな声を紹介している。

こうした一連の模倣事件は、コロンバイン高校の事件同様、関係者を震撼とさせ、学校にことを未然に防ぐための様々な方法を模索させている。スカースデール学区では、悲劇はどこにでも起き得るとして、各学校の校長が手紙やミーティングで事件に対する学校の姿勢や取り組み方を説明し、親への協力を呼び掛けた他、コミュニティ全体に対しては、教育委員長が手紙を送り、ことの事態を真剣にうけとめ、事件を未然に防ぐよう最善の努力をしていくとする学区の姿勢を伝えている。

14名もの命を奪った今回の高校生による意味のない殺戮は、全米の多くの人々をやり場のない怒りと悲しみに陥れる一方、犯人をヒーロー視する子供たちをも生み出している。親や教育関係者の悩みはつきない。

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校内乱射事件の余波 (続)5.21.99

コロンバイン高校の乱射事件後、各地の学校で「コピー・キャッツ」的な事件が相次いでいるが、5月4日には、エッジモント高校の男子手洗所で、爆破予告と見られるメーセッジがみつかり、安全が確認されるまで学校中が体育館に避難した。
連絡を受けて爆破物処理の専門家たちと学校に駆け付けたグリーンバーグ地区警察署長、ジョセフ・ディカロさんによるとその日の予告はこれで3校目。ディカロさんは、多発する模倣事件について、「明らかにいたずらと分かっているような場合でも、万一のことを考えて専門家を招聘しなければならず、事件が大きく報道されるとそれをまた面白がって真似する輩も増え、ほとほと困っている」と、話していた。

一見普通だったコロンバイン高の二人の犯人を、こうした類のない犯罪に駆り立てた原因が何だったのかと言う疑問についても、今だにいろいろな人たちによって様々な意見が飛び交わされている。暴力映画やビデオゲームの影響、緩慢な銃規制、子供でも爆発物の作り方が学べるというインターネットのありかた、ヒットラーのような殺人鬼を英雄視した子供の内面を洞察出来なかった親や学校の責任など原因究明はつきないが、確たる理由は誰にも掴めていない。

しかし犯人の二人が愛用していた所から、黒い服やトレンチコートの好きな子供たちが今、学校で危険視される風潮があると言う。今週のスカースデール地方新聞には、息子がいつも黒いシャツを着ているからと、まるで同じような犯罪でも起こすかのように言われ、とても傷ついているとして、「服装や音楽の趣味で、他人にレッテルを貼るのは『マーカーシズム』の再来だ。」と訴える母親の投書が載っていた。彼女は、この一件は本人だけでなく家族全員にも辛い思いをさせたと書いている。

コロンバイン高校事件は、学校に、家庭に、社会にそれぞれに大きな問題を投げ掛ける一方、反応を面白がる子供たちの模倣事件を生み出したが、他方、ことを真剣に受け止めるあまり、問題の本質からかけ離れた所で、徒にあらたな「排斥」を呼び起こしている一面もある。

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銃規制運動とNRA 6.4.99

米上院は、去る五月二十日、「展示会で銃を販売する場合、必ず購入者の犯罪歴を調査すること、ピストルには子供が使用出来ないよう、制動装置をつけるか、特別な収納箱を備えること、18才未満の子供にセミオートマチック銃を販売するのは違法となる」などの新しい銃規制法案を通過させた。

この法案は、NRA(ナショナル・ライフル・アソシエーション)を支持する共和党議員の強い反対で、一時は通過が危ぶまれていたが、コロラドについでジョージアで起きた高校生による乱射事件で急激に高まった世論に助けられ、一票の差ながら可決された。法案が実際に法律となるには、下院での審議を待たなければならないが、下院議長の談話などから今の所ほぼ確実とみられている。

これについて、五月二十四日、ウェストチェスター地区で開かれた年次晩餐会に参加したNRA友の会のメンバーたちは、地方新聞のインタビューに答えて、「高校生の乱射事件をこんな風に政治的に利用するなんて、恥知らずの政治家たちがいるものだ。」、「犯罪に使われている銃は全体のわずか0.2%。我々のほとんどは、自分たちの命を守るために、銃を保持しているだけなのに、なんでリトルトンの高校生みたいな言われ方をしなければならないのか。」などと、その不満を口にしていた。晩餐会で集まった10万ドルの収益は、射撃の名手となるための方法、安全な銃の保持法などの様々なプログラムに費やされると言う。

私は、ルイジアナで撃たれた服部剛丈君のご両親に同行して何度かワシントンへ行き、それをきっかけとして銃規制運動に参加したことがある。その運動は、1993年11月、ピストルの即売を禁じるブレイディ法(この法は、5年の暫定期間が過ぎて、現在無効となっている。)の成立と言う形でひとつの成果をみたが、銃を購入するのに何日間か待機すると言う簡単なことでさえ、それを法律として定めることがいかに難しいかを目のあたりにして、その阻止に莫大な影響を発揮したNRAの政治力に驚異を感じたことがあった。 今回の法案の審議にあたってもNRAはその影響力をフルに活用しているが、銃のために無駄に命を失う人の数、特に子供の数が急増している現在、世論の高まりが、ワシントンを動かし、より一層の厳しい規制に結び付いていくことを願わずにはいられない。

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「ミカド」 6.8.99

グリニッチ・アカデミー(Kから高校12年生までの女子校)では、5月13日から3日間、7年生によるギルバード・サリバンのオペラ、「ミカド」が上演された。「ジャパン・オン・ウィールズ」の学校訪問プログラムで、茶の湯のデモンストレーションを行ったお礼にと招待を受けたので、私どもも観劇させていただいた。PTAの担当の方が学校の隣に住んでおられることもあって日本人学校の7年生も招待されていたが、分かりにくい筋であるのにかかわらず、とても行儀よく観賞をしていたのが印象的だった。

このオペラは、以前ブロードウェイでもみたことがあるが、ミカドの息子のナンキープーと彼の奥さんになるヤムヤムが両方とも同じような派手な振り袖を着ているなど、おかしくて笑いを我慢する場面もあったとはいえ、生徒たちの一生懸命な演技は、プロとはまた違った面白さがあった。(何人かの生徒たちが着ていた着物は、振り袖を含めてボランティアの方々が帰国前に教育文化交流センターに寄付されたものだったので、思いがけない再会をしたようで、とても懐かしかった。) 

「ミカド」は、ロンドンでの初演が1885年と言うから、日本で言えば明治維新の頃である。劇中、日本語で歌われる、「ミヤサマ、ミヤサマ、オウマノマエデ、ヒラヒラスルノハ、ナンジャイナ..」と言うトコトンヤレぶしは、実際には長州藩士、品川弥二郎の即製と伝えられ、「菊(天皇)が栄えて葵(徳川)が枯れる」、当時の日本の政情をあらわしたものと言う。

「ミカド」は、初演から100年以上たった今も、いろいろな国でくり返し上演されている。話の趣旨は、当時のイギリス社会の風刺にあると言うが、舞台が日本の「チチプ」と言う架空の町の出来事としてすすめられ、前述のようなトンヤレぶしが出てきたりする一方で、登場人物の名前が、ナンキ・プー、ヤムヤム、ピシュ・トシュ、ココなどとなっていることなど、いつも何とない違和感を感じる。1885年当時の西洋に日本はこんな風に映っていたのだと思えば、それはそれで興味深いものもあるが、100余年後の今、そのイメージが正確でないことは確かだ。こんなことにこだわるのは、ギルバード・サリバン・オペラの神髄が分かっていないからかもしれないと思いつつ、それでも正しい理解を求めると言う意味で何となく気になるものを感じる。 

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射撃クラブ 7.2.99

スカースデールでは現在、高校の「ライフル射撃クラブ」の是非について地方新聞の投書欄で論争が続いている。きっかけは、中学校社会科の教師で新聞のコラミストでもあるアービン・スローンさんの、「学校で射撃を教えるなんて過去にはその正当性があったかもしれないが、今となっては危険なだけで時代おくれ。即刻廃止されるべき」と言う意見。 これに対して、翌週早速、「クラブで使われる銃は、練習時以外は使用出来ないし、使用中にも極度の注意力が要求されるので、過去50年怪我や事故など一度も起きていない。射撃の名手になるための訓練は、チームワーク、自己の鍛練にもつながり、時代に関係なく安全なスポーツである。」と言う反論が寄せられる。

反論はその後も続き、中には、「スローンさんの意見は、熱烈な銃所持反対者がヒステリックに騒ぐと、こんな風にとんでもないことまで言い出すと言うことの証明。彼の言っていることは、爆発物を作る知識を与えるからと言う理由で学校では『サイエンス』を教えるな、といっているようなもの。」「暴力的というのなら、むしろ廃止すべきは、フットボールだ。」などと言うのもあった。

上院で可決され、下院での通過もほぼ確実と言われていた新しい銃規制法案(No604)は、NRAの強力なロビー活動で最後の土壇場になって覆えされた。あれほど国を騒がせ、銃に対する世論を一気に高めさせたコロラドやジョージア州の高校生乱射事件でさえ、最終的には議会を動かすには至らなかったことで、あらためてアメリカ社会と銃について考えさせられてしまったが、スローンさんへの反論を読んで、その背景が何となく分かったような気がしたものだった。

「射撃クラブ」の今後については、コーチが辞任されたこともあり、学校としては今の所、後任を探さず、新学期が始まってから関係者の間であらためて話あいをもつことになっていると言う。民主党は、今回銃規制法案で共和党に破れた雪辱を2000年の選挙で果たすといっている。それまでに多くの無駄な犠牲者が出ないことを祈りたい。

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帰ってきた「帰国子女」たち 7.16.99

日本企業の海外進出が盛んになりはじめた1970年代、現地校で教育を受けた子供たちが今、自らが親となって海外赴任する例が増えている。昨日スカースデールで行ったボランティア組織のミーティングにも、小学校や高校をアメリカで過ごしたと言う、いわゆる「帰国子女」の母親が、3人も参加されていて、歳月の流れを感じると共に、新しいタイプの日本人の出現に感慨をあらたにした。 彼女たちは英語に支障がないために、PTAの役員になることにも躊躇がないし、これまで日本人とはほとんど縁のなかった執行部の役職についたり、地域のボランティア活動に理事として参加するなど、その活躍が目立っている。

現地校の日本人コミュニティには、いまだに興味があってもある期間その学区に住まないと役員になれないとか、古い順番で定められた役職についていく、などの方法でPTAに参加している傾向がある。これは、慣れない日本人を助ける一方、積極的に地域や学校に溶け込みたいと思っている人たちにとって、一種の壁にもなり得る問題を含んでいる。しかし、かっての「帰国子女」たちは、見ている所、既存の日本人コミュニティに対しては日本的な礼節をもって接するなど、母国の文化もきちんと維持出来ている人が多いようだ。

日本企業は、海外進出で多くの子供たちを国外に送り出し、様々な問題も生み出したが、母親となって再び地域に帰って来た人たちに接する限り、子供時代の現地校での経験が、彼女たちに異文化の違いを肌で吸収させ、いい意味での新しいタイプの日本人とならしめていることは疑いのない事実であるように思う。 

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ヒラリ−さんの「リッスニング・ツアー 7.30,99

ニューヨーク州から上院選に出馬することどうかを決めるため、州の各地で「リッスニング・ツワー」を続けているヒラリー・クリントンさんが、7月13日午前中、ウエストチェスター・コミュニティ・カレッジ」にやってきた。私どもの非営利組織、「ジャパン・アメリカ・コミュニティ・アウトリーチ」がWCCにある関係で招待を受けたので私も参加させていただいた。

今回の議題の焦点は、「教育」。ヒラリーさんが司会を兼ねながら、まず、大学、企業、公立学校、PTA、学生代表などから、カウンティやニューヨーク州の抱える教育問題について意見を聞いた。その後は招待された50数名の参加者からも相次いで様々な意見が寄せられ、ヒラリーさんは、司会をしたり、メモをとったり、質問に答えたりと大忙しだった。

ヒラリーさんは、現時点ではまだ上院選への出馬を明らかにしていないが、ニュヨーク州民ではないことは反対の要素とはなれないほど、よく勉強をしているという印象を受けた。特に教育、福祉に関する彼女の造詣の深さやその取り組み方には、深い感銘を覚えた。 話あいのあと、参加者がそれぞれヘラリーさんに挨拶する機会があった。その時の印象も、気取りや衒いの全くない、誠実で気さくな人と言う感じで、メディアを通したイメージとは大違いという感じがした。

六月初旬、ヒラリーさんのウェズリー女子大卒業三十年を記念してホワイトハウスで開かれた同窓会で、後輩のアカペラ・グループの一人として招かれた娘は、帰ってきたあと、しきりにヒラリーさんが人間としてどんなにすばらしいかを話していたが、実際に会ってみて、その人となりに対する感動が私にも伝わってくるような気がした。そのことで娘に電話をすると、「...でしょう?メディアの作るイメージなんてあてにならないわね。」と言っていた。 ヒラリーさんが出馬の決意をすれば、ジュリアーニさんとの対決で次回の選挙戦はこれになく盛り上がったものになるだろう。彼女の奮闘と議員としての活躍が待たれる。

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ウェストチェスたーの「駆け込み寺 8.13.99

この春、カナダ・バングーバの日本領事が、奥さんに暴行したとして警察に連行されたと言うニュースが新聞に出たことがあった。領事が警察で、「妻は殴られることをした。連行は文化の違いに対する誤解だ。」という意味のことを言われたとかで、その発言も大きく騒がれる要因になったようだ。

新聞の引用は、センセーショナルに伝えられることが多いので、真意のほどは分からないが、日本を代表するような立場の方が、「妻に対する暴行罪」に問われたことで、あらためて家庭内暴力が、国の違いや社会的、経済的背景を問わず、どの家庭にも起き得ることを浮き彫りにした感じがあった。アメリカでも、OJシンプソンの事件を機に、「夫の暴力」に悩む妻が少なくないことが明らかにされたが、1992年の司法省の調べでは、殺害された女性の30%は、夫か元の夫、またはボ−イフレンドが犯人であると言う。クリントン大統領は、1995年、毎年10月を「家庭内暴力」を考える月にすると公布している。 ホワイトプレインズにある、「マイ・シスターズ・プレイス」はこうした背景を受けて夫の暴力から逃れたいとする妻たちのために民間の非営利団体によって作られた「駆け込み寺」のひとつだ。

この程、この施設にスカースデール在住で弁護士でもあるエイミー・ポーリンさんが、ニューヨーク州知事の要請をうけて州政府の「家庭内暴力」問題を担当することになった、ワトソンさんの後任として代理ディレクターに就任した。ポーリンさんは、新聞のインタビューで、「家庭内暴力は、一般に考えられているような低所得層の一部の問題ではなく、その比率は裕福な家庭でもほぼ変わらない」と言っている。体裁を繕ったり、夫のもとから離れることで経済的に失うものを考えると、むしろ豊かな家庭ほど、夫の暴力に妻が我慢する場合が多いと彼女は言う。

「マイ・シスターズ・プレイス」では妻たち(子連れの場合も多い)を一時的に匿うだけでなく、独り立ちが出来るよう、サイコロジストやソーシャルワーカーも一緒に問題の解決にあたる。「女性の権利を守るために私たちがやるべきことはまだまだ山ずみです。」とポーリンさんは新しい仕事への抱負を語っている。
 
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核廃絶の願い 8.27.99

1981年以降スカースデールの平和団体が毎年主催している、原爆犠牲者追 悼のためのサイレント・ビジルが、今年も8月7日(土曜)駅前のチェ−ス・パ ークで行われた。私は日本にいて今年はビジルに参加出来なかったが、その後、 主催者代表のシンセンさんから電話があり、「日米住民で共に犠牲者への鎮魂の 祈りをしたかったのですが、日本人に誰も来ていただけなかったのが残念で す。」と言っていた。

今回の日本行きでは30数年ぶりに長崎に足をのばし、平和公園や原爆落下中心地、原爆資料館などを訪問した。資料館では、再現された原爆投下直後の長崎 の惨状や被爆者の苦しみの様子などを目にしながら、以前にもまして核の恐ろし さに震撼し、平和の貴さを実感した。長崎市の「核のない世界」への訴えは、被爆都市としての惨状だけではなく、 各国の核兵器開発の歴史や、実験のもたらした悲惨さが紹介されていること、自国の犠牲者だけでなく、韓国人をはじめとする多くの外国人の被害者の様子もき ちんと紹介されるようになったことで、あらゆる国の人に「自分の身にもふりか かり得る脅威」として、伝わりやすくなっているのではないかと言う気がした。

原爆投下から54年を迎えた今年、長崎で、広島で、核廃絶の先頭に立ってき た全国の被爆者の平均年齢は69・19才となり、急速に高齢化が進んでいると言う。このため両市とも被爆体験の継承を若い世代に伝えるとして、原爆忌の平和宣言の中でも若い世代への呼び掛けかけがなされていたが、新聞やテレビでその様 子をみている限り、平和になれ親しんだ若い人たちにその真摯な訴えが届きにく いようなのがとても気になった。
                                                                     
スカースデールのサイレント・ビジルも参加する人は高齢者が多く、若い世代 をどうして運動に引き入れるか数年来の課題となっている。幸運にも今は日米共 に平和を享受しているものの、インド・パキスタンが核搭載の可能な弾道ミサイ ルの発射実験をするなど、世界の情勢は依然として予断を許さない現在、世代や 国の違いを問わず核廃絶の動きが世界中に広がることを願わずにはいられない。

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アメリカのお月見 9.10.99

8月29日夜、ノース・セイラムにあるハモンド・ミュ−ジアムで今年33回 目にあたる「お月見」が行われた。参加者たちは、日本食や日本酒に舌鼓を打っ たあと、お琴と尺八の演奏に情緒豊かな「日本の一夜」を過ごした。私は、食後 の演奏の部だけに参加したが、静かな日本庭園の中で、月光を背にして奏でられるイシグレ雅代さんのお琴と水本昭二さんの尺八の優雅な音色に心の故郷に帰ったよ うな思いがした。
                                                                                   ハモンド・ミュージアムは、自然と芸術を通して東西の文化を理解し、交流を 深めようと、1957年、ナタリー・ヘイズ・ハモンドさんと言う人が設立した美術館と日本庭園。庭園は、「ストロール・ガーデン」という名前の通り、そぞ ろ歩きをしながら広い庭が楽しめるようになっている。ミュージアムでは、庭園の観賞の他、「お月見」やお茶会、禅、お花の指導アジア系、特に日系芸術家の作品の展示、アジアン・フェスティバルの開催な ど、盛り沢山のプログラムを企画して一般の来園と参加を呼び掛けている。

今回の「お月見」では、フェアフィールド日本協会や、日本企業が数社後援さ れていたが、ミュージアムの所在地がノース・サーレムと言うサウェストチェス ター最北と言う距離の関係からか、どのプログラムも日本人の参加者は少ないよ うだ。日本に関するプログラムの多いミュージアムの企画は相互理解のよい機会と思 われるので、私どもの非営利組織、JACOは、今後ミュージアムとその方法を 話し合いながら、交流活動に出来る限り協力させていただくことにしている。

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ユダヤ教への改宗: 9.24.99

ユダヤ歴で5760年目にあたる今年のロシャシャナー(新年)は、9月10日、金曜日の日没に始まった。我が家もキャンドルを灯し、ワインとハラ(おさげの様に組んだパンで普通は楕円形だがロシャシャナーの間はエンドレス・ライフを象徴して円形。)でお祈りを捧げたあと、林檎に蜂蜜を浸しすなど、甘いものの多い料理を食べて新年を祝った。その後シネゴーグでは、新年のための特別のお祈りの合間に、ショファーと呼ばれる雄羊の角で作ったらっぱ状の楽器の奏でる音に耳を傾けた。

ロシャシャナーの10日あとにヨムキプアと呼ばれる、「あがないの日」がやってくる。この間の10日間がいわゆるユダヤ教の新年にあたり、ユダヤ系の多い所ではあちこちで、「ハッピー・ニューイヤ−」とか「シャナトバー」、「グッドヨンテフ」などの挨拶が交わされる。ヨムキプアの日は13歳以上の成人は、断食をし(もちろん、しない人もいる。)一日中、この1年間に冒した自分の罪をあがない、故意にせよ、気付かなかったにせよ、傷つけたかも知れない誰かに許しを求める。この日シネゴーグではホロコーストや広島、長崎の犠牲者にも哀悼の祈りが捧げられる。

私は昨年、ユダヤ系の夫と結婚して27年目にして、ユダヤ教に改宗した。ユダヤ教は大別するとオーソドックス(正統派)、コンサバティブ(保守派)、リフォーム(改革派)に分かれるが正統派、保守派は、母親がユダヤ系でない限り子供をユダヤ人とは認めない。このため、非ユダヤ系の母親は子供が生まれる前に改宗する人が多い。私は当時ユダヤ教のことをよく理解していず、夫も強いてすすめなかったので、スカースデール・シネゴーグ(リフォ−ム)のメンバーになったあとも、そのままにしていた。

所が昨年、末娘が大学へ入って家を出たあと、これまで夫や子供たちのためと家族や周囲の人たちの力を借りながら続けてきたユダヤの年中行事が、今や誰のためでもなく自分のためになっていることに気付いたのである。改宗の時がきたと思った。
日本や日本文化を誇りに思う一方で、ユダヤの文化や習慣が違和感なく自分の中に共存出来るようになった今、改宗に26年もかかったことが無駄ではなかったことをしみじみと感じている。その意味で今年のロシャシャナーは私にとってことさら感慨深いものであったような気がする 。

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アメリカの妊娠中絶論争 10.8.99

アメリカの妊娠中絶論争は、「母体に危険性がない限り中絶を認めない」とする法律は違法であるとしてテキサス州を訴えたジェーン・ローさんに対し、連邦最高裁が1993年に「中絶は合法である」とする「ロー(原告)対ウェイド(被告)」と呼ばれる判決を下して以来、年々その激しさを増している。

昨日(9月29日)のウェストチェスターの地方紙は、昨年10月に行われた州最高裁の判事選の期間中に「中絶は殺人である。我々の州でこうした行為が許されていることに非情な怒りを感じる」などの発言をしたことが明るみに出て問題にされているウェストチェスター選出のラカバ判事のことを伝えている。司法委員会は、裁判に携わる者が公の場で論争の一方の立場にたった発言をするのは問題であるとして制裁の方法を検討すると言っているが、共和党の保守派であると言う本人にすれば、「中絶問題」は有権者を説得するのに、よい材料であったのであろう。
中絶論争は、銃規制法案に対する議論と同様、日本人には非常に分かりにくいが、ラカバ判事の選挙民だけでなく、アメリカには宗教的な背景もあって、中絶がどの時期に行われるせよ、「殺人行為」であると考えている人が少なくない。過激な反対者は、公費で賄われているクリニックに爆弾を仕掛けたり、医師を殺害するなど、考えられないような行動に走る人もいる。

最近では、インターネット上に中絶に携わる医師を犯罪者扱いして名前や住所などを公表し、殺された人たちの名前に順番に黒線を引くなどして、あたかも殺人を奨励するようなホームページを作って、訴えられたいる人もいる。 連邦裁判所は、このホームページの運営者に損害賠償金の支払いを命じているが、被告側は評決は言論の自由を保証する米国憲法を侵害するものとしてその支払いを拒否していると言う。

最高裁の判決は判事の顔触れによって後に覆されることもあリ、引退する判事の後任はは大統領が任命するので、「中絶論争」は、来年の大統領選にむけて今後も政治の場でますます白熱していくことだろう。 

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増える高校中退 10.22.99

ウェストチェスターで今、増加するスペイン系移民の高校中退が懸念されている。カウンティ全体の学校で17%とされるスペイン系の子供たちが、中退する比率では全体の40%近くを占める様になったためという。 こうした状況に対して受け入れ校では、どの学校もESLのクラスを増やした り、アメリカ生活への適応のオリエンテーションを行うなどその対処に最善を尽くしているが言葉の壁、文化や教育に 対する価値感の違いなどで、その指導は容易ではないようだ。ニューヨーク州教 育省が義務づけた4年生と8年生のアチーブメントテスト、高校卒業資格を得る ための5教科のテストの施行も、試験に受からなくて留年したことがきっかけで 学校を休みはじめる子供が多いことから、今後の中退をますます増やしていく結果になると関係者は危惧している。
 
私は以前、この欄でニューヨーク教育省の高校卒業資格試験で、日本人を含む 外国人や必要と思われる生徒に特別のコースを設けて指導にあたっているという スカースデール学区のことを紹介した。その後に行われた第一回のテストで日本 人は全員合格したとのことで、当事者や関係者たちはもとより、住民をも大いに 安堵させた。教育が唯一の産業であり、生徒のアチーブメントの結果や卒業資格 試験の合確率など、直接不動産の価値に影響し得ると考える人たちの少なくない 所では、全員合格の知らせは、自分の子供のことではなくても十分喜ぶべきニュースになるからである。

ウェストチェスターは、進学率を誇る学区も多く、一般的には裕福な地域であ るとみなされている面が少なくない。しかし、実際には違法滞在も多く、高校中 退の増加にも見られる様に、全体的にはアメリカの学校についていけない子供たちが増えている。スペイン系の移民の子供の数が今後20年で全体の20% 以上になるであろうと予測されていること、隣町での移民の急増は、今、裕福な学区にとても自分たちに関係のある問題としてとらえられはじめられているようである。

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紺屋のあさって 11.2.99 
                    
「紺屋のあさって」という言葉がある。紺屋の仕事は天候に左右されるため、染め物の仕上がりが遅れがちで客の催促に対していつも「「あさって」といい抜けた所から約束の期限にあてにならない時にこの言い方が使われる様になったという。こうした言い方がある所をみると、日本でも昔から約束の時間を守らなかったり、すっぽかしたりする職人は珍しくなかったのだろう。

とはいえ、アメリカの「紺屋のあさって」は、日本の比ではない。ニューヨークに30年近く暮らしながら、どうしても慣れることが出来ないのが、このアメリカの「紺屋さん」たちだ。洗濯機の修理から家具の配達まで、所定の時間を指定しながら来ない人たちを待って、時間を無駄にしたことが何度あったことだろう。
 
今回のベルアトランティック社の「紺屋」ぶりは特にひどかった。私どもはこのほど、日本文化紹介用教材貸出のためにホワイトプレインズにあらたに部屋を借りたので、ベル社に電話の取り付けを依頼したのだが、何時間も待たされた上、5度も約束を反故にされたのである。

いずれの場合も後日これなかった理由の説明や謝罪があるわけでもなく、こちらから電話すると、あっさりとそうですか、では次の予約をということになるのだ。電話を受ける人と実際に現場で作業する人たちが同じではないこともあって責任を感じないのかもしれない。それにしても、あまりのいい加減さに弁護士を通じて、「この怠慢さは、大企業の小規模のオフィスに対する差別である」として責任者に伝えてもらった。

すると翌日工事をする人がやってきたが、電話線を外から建物に引っぱってくるところまでが自分の仕事であり、この先はまた別な人の作業になるとして仕事を完成せず帰ってしまった。そこでまたあらたな予約を強いられ、現在もまだ待機中である。

アメリカ人に聞いてもベル社にすっぽかされることはよくあるといい、殆ど独占企業に近く、競争相手がいないこうした会社では、ある程度我慢するより仕方がないという。今回の一件で、私は、「紺屋さん」が独占の大企業になるとどんなことになるかを身を持って体験した気がする。

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「ウィ シャル オーバーカム」 11.19.99
 
11月3日夜、スカースデール フレンズ ミーティング ハウスで、クエーカ教会とユダヤ教会合同による「クリスタルナハト」、(水晶の夜)慰霊祭が行われた。クリスタルナハトは、1938年11月8、9日にドイツで起きたユダヤ人に対する暴動で、ホロコーストに至るきっかけとなった日として知られている。慰霊祭は通常それぞれのユダヤ教会で行われるが、同じ施設を共有しているキリスト教とユダヤ教会が今年はじめての試みとして人種偏見の痛みを共に分かち合おうと、広く住民に呼びかけたもの。 
                                                                        
プログラムは、まず、近くの幼稚園から参加した日本人児童の合唱にはじまり、ユダヤ教の祈りの歌、アイルランドのダンス、アフリカ 系アメリカ人グループによる合唱。その後キャンドルライトで犠牲者への祈りをささげ、最後に偏見による悲劇を再び誰にも繰り返さないことを誓って、参加者全員が輪になって、「ウィ シャル オーバーカム」の歌を合唱してその幕を閉じた。
 
日本人の子供たちが浴衣姿で健気に歌っている様子は、民族衣装を着てアイリッシ・ダンスを踊った子供たちと共に、その愛らしさで、参加者の目を細めさせていた。子供たちが帰ったあとも、「可愛らしい」を連発し、その参加を評価する人も多かった。
 
ひとつだけ気になったのは、子供たちの合唱が終わるとご両親が全員、子供たちを連れて一挙に引き上げてしまわれたことだった。8時過ぎという時間帯で子供たちが疲れていることもあったこともろうし、主催者から、「クルスタルナハト」の意味が十分伝えられていなかった。という理由もあったかもしれない。ただ、犠牲者に対する慰霊と、間違いを再び繰り返さないための誓いが目的の企画だっただけに、急に空席になった一帯は、目立ち、「せめて両親の一方でも残っておられれば」と感じないではいられない思いがした。

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二党政治 12.3.99

スカースデール村では今、今年初めて議会に自らの候補者を送り出した「ボーターズ・パーティ」が来年1月20日を予備選挙の日と定めて、我こそはと思う住民に対して積極的に立候補を呼びかけている。予備選で当選した候補者は、3月の住民投票で6人の議員のうち、任期満了で引退する3人の議員の席を「シティズン・パーティー」の候補者と争うことになる。

スカースデール村の議員選は、従来、最終的には住民投票で決めるものの、指名委員会に推薦された人材が対抗馬なしで当選するという方法がとられていた。しかし、こうした選挙のあり方は、密室的で民意を反映していないとして、5年ほど前から政党設立の動きが起こり、今年3月の住民投票では、組織されたばかりの「ボーターズ」からミスター・ゾックが最高点で当選したのである。

従来の方法、つまり、学校や地域で様々なボランティア活動をして、その仕事ぶりや地域に対する貢献度などが住民に評価されて議員の席を獲得すると言うやり方が村にとって最高だと信じて来た人たちにとっては、選挙の時まで地域ではほとんど無名と思われていた人の軽々の当選は、かなり衝撃的な出来事だった。

村に対する過去の貢献度などとは一切関係なく、例えば駅前を時流にのって便利な繁華街にするなどをの「政策」や「公約」を揚げて選挙戦を争う「ボーターズ」の出現は、村が誇りとしてきた「政党、政策にとらわれない選挙」のあり方をうち砕くと言う懸念を与えるに十分な変化でもあった。

昨年の成功を今後の流れにしようと張り切っている「ボーターズ」に対し、いい伝統は守らねばならじと「シティズン」も巻き返しをはじめている。来年3月の住民選挙は今年にもまして盛り上がる気配である。

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