Scarsdale station area
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ベツレヘム (Bethlehem)

イエス・キリストの生誕の地、ベツレヘムは現在パレスタインの人たちの自治政府領となっています。そのためユダヤ人は入れないとのことでアラブ系の運転手とガイドを紹介されました。そのガイドはキリスト教系のアラブ・イスラエル人でしたが、彼はベツレヘムがパレスタインの自治領になったのち観光客が激変し、ほとんど収入もなくなって暮らしていけないので親戚を頼ってアメリカに移住することを考えているといっていました。ベツレヘムはユダヤの最初の王ダビデが生まれた所としてキリスト教徒だけではなくユダヤ教徒にとっても聖地であり、もっと多くの人に門戸を開放すれば観光収入も増えて近隣の人たちの生活も潤うのではないかと、寂しい町の様子を見ながらあらためて考えこんでしまったものでした。

「人の扉」と呼ばれる「ベツレヘム生誕教会」の小さな入り口(高さは1.2メートル)

 

教会の内部

イエスの降誕の祭壇

星の上方にはキリスト教各派の所有する10数本の銀製のランプがかかっています。

キリスト降誕の祭壇。銀製の星型がイエスの生まれた場所を示しているとか。

星型の部分を大写しにしたもの。



マサダ (Masada)

マサダは、エルサレムがローマ軍に陥落された後、生き残ったイスラエルの人たちが3年間ここにたてこもり、最終的には生きて奴隷になるよりはと全員が死を選んだ場所です。 歴史家のジュゼッペは、奇跡的に一命をとりとめた女性の口述をもとに、最後の様子を「仲間の中から10人をくじで選び、その10人が生き残った人たちを殺し、最後にそのうちの一人が他の全員を殺した」と記しています。ここはもともとはユダヤの王だったヘデロ大王が 紀元前37年頃隠れ家として建設したもので、ローマ式の浴場からシナゴーグまで城砦としての機能をよく整えていたようです。現在マサダは国防のシンボルになっていて、イスラエル軍の入隊宣言式はユダヤ不屈の魂、「マサダは再び落ちず」というモットーの下、こ こで行われます。

死海文書が発掘されたクモランの洞窟

牧童が山羊を追っていて入り込んだという洞窟。エルサレムからマサダに向かう途中、死海の近くにある山。

地上と山頂をつなぐケーブルカー

高校の時ここにきた子供たちは歩いて山頂に登ったと言っていましたが、私たちはケーブルカーで行きました。

ヘデロ大王の館の一部。ローマ式浴場跡

マサダの城塞から地上をみおろす。

城塞の一部

ローマ軍宿営の跡

死海





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