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ユダヤ教の成人式    ある母親の記録    (ニューヨーク日米、1990年5月24日)

息子よ。                                

息子の成人式、バールミツバおまえは、この三月三十一日にバール・ミツバの式を終え、ユダヤ人の大人としての道を歩みはじめた。ところで成人となった男性に、例え我が息子とは言え「おまえ」と言う呼びかけは、もうそぐわないかも知れないね。そうだ、今日からおまえのことは、君と呼ぶことにしよう。君だなんて、何となくよそよそしくてぴったりしない感じもしないではないのだけれど。

さて、ダニー。もう何回も聞かされて、君の耳にはたこが出来てしまったかも知れないけれど、バール・ミツバが、ダディとマミィにどんなにすばらしい想い出を与えてくれたか、もう一度ここに書いておきたい。君の両親であることの喜びと誇りをあれほどに強く感じた事はこれまでになかったような気がする。もちろん、君はデビと同様いつだって私達夫婦のかけがえのない宝物だったし、成長のあらゆる過程で私達に喜びを与えてくれた。最近では君が時として見せる理不尽な反抗に悩まされる事も決して少なくはないけれど、それでも、万葉の昔に山上億良という歌人がうたった「銀(しろがね)も、金(くがね)も玉も何せむにまされる宝、子にしかめやも」という子供への愛情は、君達を授かって以来いつだってそっくりそのまま私達の思いでもあったのである。でも、今回バル・ミツバになった者として、ヘブライ語や英語を駆使して堂々と儀式を進めて行く祭壇の君に見た一人のすばらしい青年の姿は、私達をあらたな感激にひたらせるに十分なものだった。学校の宿題が多くて、練習に身を入れていないように見受けられる日もしばしばあって、本当にうまくやれるのかしらと気をもむ事も多かったので、それが実際には全くの杞憂にすぎなかったことも私達を余計に喜ばせたのかも知れない。いずれにせよ、君はラビやカンターの指導の下、君のために駆けつけて下さった大勢の人達を前に、立派に成人式を済ませたのだった。おめでとう、ダニー。そして私達をあれほどの感激にひたらせてくれて本当にありがとう。

君は、式のあと君を取り巻くあらゆる人々に感謝の言葉を述べたあと、出席していただいた方々に向かって大人としての出発にあたっての抱負を語ったが、その内容もまた私にとっては、君を誇らずにはいられないものだった。それは、日 頃私達が君達と話し合って来た事を君なりに理解している事をあらわすものであり、これからの人生に立ち向かう君の真摯な姿勢がひしひしと感じられるものであったからである。英語で書かれた君のスピーチの要点は日本語に訳せば次のようになるだろうか。

「ご承知のように僕は自分がユダヤ系であることをとても誇りに思っています。しかしまた、同時に日本人であることの誇りも忘れてはいません。二つの文化がぼくの人格、考え方などに深い影響を与えているのは紛れのない事実であるからです。それゆえ、最近台頭している日本でのアンチ・セミティズムの動きは僕にとって気にならないではいられないものです。その事について少し僕の考えを述べて見たいと思います。      

日本では、ユダヤ人が裏の国家を形成して、アメリカをコントロールしているとするいわゆる『ユダヤ陰謀説』が一部でもてはやされているそうです。もちろんユダヤ人がアメリカをコントロールしているなんてまったくのでたらめにすぎません。でも、日本人の中にはユダヤ人やユダヤ教に対する知識がない人達が多いので、それを信じる人達も少なくないと言うことです。その人達にとっては、日本が世界中から叩かれている元凶として責める相手が見付かってほっとしている部分もあるようです。

こうした『ユダヤ陰謀説』の提唱者は、人々の心を惑わそうとしています。まったく何も知らない人に人種偏見を植え付けているのです。若し、僕達がこうした事を遠い国の出来事として無視するなら、僕達は再び人種偏見がもたらす犯 罪の犠牲となり、だれにも新しいナチズムの台頭を止どめることは出来ないでしょう。第二次世界大戦の悲惨さをすでに忘れさった人達がいるようなのは驚きではないでしょうか? 

人種偏見と闘うために僕達は何をするべきか? それはまず先人のラビの教えを守る事から始まると僕は思います。それは、お互いを敬い、隣人を愛すると言う教えであり、その教えは外国に住んでいる人達にもあてはまるべきものでしょう。

僕自身のなすべきことは、生きている限り誰に対する偏見も抱かないように努力することだと思います。もちろん何億と言う人間の中から僕一人だけがこんな決心をした所で、現実にたいした違いを生まないであろうことも僕はよく知っています。しかし、誰かは始めなければならないことであり、より多くの人達が少しずつでもそれに向かって努力をしていくとしたら、いずれ誰の肩にも重い偏見や差別がなくなることは決して夢ではないような気がするのです。僕のラビであるクライン先生は、このことについて、『この作業を一人で全うするような責任は誰にも課されてはいないが、少なくともそれに取り組む責任は誰にもある。』と言っておられます。ユダヤ人の大人としての道を歩き始めるにあたって、僕はまずその作業に取り組み始めることを僕自身に課したいと思います。」   

宗教の上では大人として認められるようになったとは言え、君はまだ実際には十三才。ティーンエジャーとしての人生が始まったばかりだ。少年期からの脱皮をはかる君にとって、私達の言うことは、必ずしも素直に耳を傾け得ることばかりではないと思う。しかし、君がラビと相談して書いたスピーチの内容は、少なくとも「偏見」に関してはこれまで私達がみんなで話し合ってきたことを君なりに理解し、咀嚼しているらしいのが感じられて私にはとても嬉しかった。祭壇の君を見詰めながら味あった万感胸に迫る喜びを私は生涯忘れないと思う。


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