Scarsdale
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クリスタル・ナハト(水晶の夜 )の追悼式で考えた事  ある母親の記録 (NY 日米)

十一月九日はクリスタル・ナハト(水晶の夜)から50年目にあたった所から全国のシナゴーグや教会の一部でホロコーストの犠牲となった人々への追悼式が催された。

イメージ:菊英語で「ザ・ナイト・オブ・ブロークン・グラス」と呼ばれているこの日は、それまでナチスによって着実に培われて来たドイツやオーストリアの「ユダヤ人憎悪」の感情が市民運動となって一斉に吹き出した日でありヨーロッパのユダヤ人がホロコストへの道を辿って行くきっかけとなった日として、ユダヤ史上に見る数え切れない程の迫害の中でも特に忘れてはならない日として明記されている。発端となったのは、1938年11月7日、ドイツを追われたポーランド系ユダヤ人青年がパリのドイツ大使館員を狙撃した事件だが、二日後に大使館員が死亡すると、待ち構えていたようにドイツやオーストリアで、一網打尽のユダヤ人逮捕が始まり、数え切れない程のシナゴーグや、ユダヤ人経営の銀行や商店、家屋が破壊された。そしてこの夜の理不尽な暴動や逮捕に対し、周囲から何の強い圧力もかからなかった事から、この日を境にヨーロッパのユダヤ人は、ナチスの政策によっでユダヤ人であった事だけが唯一の罪として死の収容所へ送られて行く事になるのである。「水晶の夜」などと言うロマンティックな響きさえ感じさせる名称をつけたのはナチスで、暴動の夜、通りに散らばった哨子の破片が月夜に反射してきらきらと水晶のように輝いていたからだという。

シナゴーグでの追悼に列席して、あらためて抱かずにいられなかったのは、ドイツ国籍をもって何代もドイツ人として暮らしていた人々がユダヤ人であると言うだけの理由で一網打尽に逮捕されたり、ある家族はその場で殺されたりした事に対して非ユダヤ人であった隣人たちはどうしていたのかと言う思いだった。暴動に参加した人達ばかりがドイツ人ではなかった筈なのに、心ある人連の声が一大勢力とはならず、結果的には後の六百万人ものユダヤ人の組織的な殺戦を許してしまうと言うような事がどうして可能だったのかという疑問だった。全く秘密裏に行われた訳ではなく、何年もの間ドイツ占領下の至る所で、多くの人材を使って延々と続けられた大量虐殺に対し、世界中の指導者がそれを阻止しなかったという事実も私にはどうしても理解出来ない。

けれども、1941年12月7日、日本軍によるパールハーバー奇襲攻撃がアメリカ国民に伝えられるや否や白昼日本人経営の商店のガラズが割ちれ、夜になると投石放火が相次いだと言うカリフォルニアを一帯とした日系人に対する暴動や、その後の強制収容、開東大婁災の後起きた日本人による朝鮮人虐殺などを考えれば、宗教的、歴史的背景に関係なく、これらの出来ごとにはある面で共通している部分があり、その部分においてなら理解出来るような気がする。それはこれらが全てきっかけが何であったとしても同じような結果を招いたのではないかと思われる点である。

日本軍によるパールハーバー奇襲はアメリカの排日運動家や日本人嫌いの人達には、日系人を徹底的にやっつける絶好のチャンスであったし、日米開戦後すぐブラックリストに従って日本人の指導層一斉検挙を開始したFBIは3日間で1290名を逮捕する用意周到さだったと言う。関東大震災後に東京を中心に行われた六千人余の朝鮮人の大虐殺も、社会主義者や朝鮮人を敵視していた軍隊や警察による意図的デマによって民衆が煽動されたのかきっかけであったとしてもそれまでに長期間にわたって培われた日本人の朝鮮人に対する偏見がなければとうてい起こりはしない出来ごとであったろう。

私は小さい頃、母が「そんな朝鮮人のような真似をしてはいけない」と言うのや、大人同士の会話の中に「朝鮮人のようにお金に汚い人」などと言う言葉が入るのをしばしば耳にした。アメリカの作家スタインベックも故郷サリナスで小学生だった(1910年代 )、ハースト系の大衆紙がさかんに日本人排斥をやっていたこと、小学生たちはそれに刺激されて日本人の動静を探るクラブを作ったことなどをその著書に書いている。

今は戦争中でも慢性の不景気でもなく一為政者が人々の心に潜む偏見を利用して、民族をスケープゴートにすることで民衆の不満を逸らすなどと言うような必要は全くない時代ではあるけれど、ひとたび事が起こった場合の偏見のもたらす恐ろしさは宗教や肌の色、国の違いを問わず全ての人が自分自身に関係ある事として学ぶべきことと思われる。

私は母が大好きだったし、いろんな意味で尊敬もしていたが、まったく何気なく彼女の口から吐き出されていた朝鮮人に対する蔑視的表現は今にして思えば、偏見以外の何ものでもなかったと言う意味で本当に残念なことと思う。生きていれば彼女の考え方のあやまりを諭したい気もするが、今となってはそれも適わない。少なくとも今母親となった私がこれらの事から学ぶことは、自分の中の他者に対する偏見を見極め、他人の見た目で物事を判断しない強さを身に付けていることではないかと思っている。

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