拝啓中曽根総理大臣殿: 海外教育、国は責任を (読売:1987年3月15日)
新聞、テレビなどでこちらにも頻繁に伝えられる日本のニュースから激務の日々を推察しております。ご多忙の所誠に恐縮ではございますが、どうしてもお聞きとどけいただきたいことがあり、失礼は重々承知しながら、便りをさせていただいております。お目通しをいただきました上、この件に対するご考察を賜ることが出来れば幸甚でございます。
私は、ニューヨークに在住する一日本人主婦です。アメリカ人の夫との間に二人の子供がおり(小学校三年生男児と一年生女児)二人とも週日はアメリカの学校へ、土曜日はニューヨーク日本人教育審議会が運営する補習授業校に通っております。これまで子供たちを通して現地校や補習校のPTAに関わりをもって参りましたが、特に本年度はニューヨーク州ウエストチェスター地区補習校(生徒数約六百五十名)の父母会会長として、またニューヨーク地区十二の補習校(生徒数約四千名)の父母会連合会会長として活動を続けた結果、アメリカに於ける日本人児童の実態はもっと日本政府によって把握されるべきではないのかと考えるに至りました。もちろん、学校行政の改革などが一個人の意見で左右されるものではないことや、特に教育審議会と言う組織があって、そこで運営されている補習校のような場合、改革することがあれば順序としては審議会から文部省を通して話しがすすめられていくべきであろうと言うことも十分承知しております。その点に関しては、父母会連合会も教育審議会に同じ趣旨の要望を出しましたが、それに対しては経済的な理由などで現在の所、実現は不可能と言う返事でしたので、経済的なことが主な理由であるのなら、或いは政府レベルで考慮いただければ実現の可能性もあるのかも知れないとして、また、成長の早い子供たちのことを考えれば、解決は急がれるべきであると言う思いに駆られて、施行については、諸機関に任せられるとしても、少なくとも現場にこのような声のあることはお聞きとりいただきたいと考えた次第でございます。
さて、昨今のアメリカでの日本に関するニュースと言えば貿易黒字のこと、日系企業の米国内での投資のことなど、少なくとも対外的には景気のよい話題ばかりです。つい最近も「ニューズ ウィーク」誌は「あなたの次のボスは日本人かも」と題する特集を組みまして、日系企業で働く二十数万人のアメリカ人の例をあげ、この状態は今後も続くものとして日本人の下で働くには何を知るべきか等の心得まで説いています。これは、十数年前には考えることさえ出来なかった程の驚くべ経済成長であり、特に戦後の貧困の時代を知る者としては誇るべき祖国の繁栄と言えましょう。しかし、海外で活躍する企業戦士の背後で、同じようにどんどんと海外の学校におくられる日本人の子供たちの様子を受入側で目の当たりにする者にとってはこうした「すばらしい」ニュースにも素直にに喜べないものがあります。それは、国の繁栄と、「現地校主義」という方針に見られるような、海外の日本人児童生徒に対する日本政府の対処の仕方がまったく合い反するように思われるからです。
「現地校主義」とは、海外の子供たちの教育はアメリカのような先進国の場合、現地の方針に任せると言うことのようですが、ニューヨーク近郊の日本人集中区では、「招かれてもいない他人の家に相手の都合も聞かずに子供たちをどんどん送りこむ」と言うようなことをしているのではないでしょうか。迎える側にある戸惑い、不満はともかくとして、国なり会社なりの決定によってある日突然といった形で言葉も環境もまったく異なる世界へ送り込まれる子供たちは、その日から耳も口も言葉の伝達機関として何の役にも立たなくなった思いに落ち込む一時期を過ごすことになります。大人になってからの留学であったとはいえ、自分自身にも言葉では非常に辛い思いをした経験がありますので、現地校で表情のすぐれない日本人の子供たちに接するとその鬱積した思いが伝わって来るようで、思わず「挫けないで、頑張ってね」と声をかけたくなることがあります。その同じ子供たちに補習校で会うとき、彼らの表情のあまりに違う明るさに、言葉が、特に子供の場合、精神の安定にいかに重要な要素となっているかを痛いほどに感じないわけにはいきません。
しかるに、どう考えても私によく分からないのは、これだけ世界有数の経済大国となった日本が、これだけ多くの自国の子供たちを送り出しているニューヨークのような所で、将来国のリーダーともなるべき大切な自分たちの子供の教育をアメリカの地方自治体の教育方針に全面的に任せてしまっているという事実です。アメリカの教育がいいか悪いかは別として、日本政府は自国の子供の教育を文化背景、言語などのまったく異なる他国の方法に一任しているのです。海外に住む日本人児童の数が少なく、かってのように国全体が貧しく資力もなかった頃なら、いった先の学校に子供たちの教育を任せ、日本語のためには有志が集まって校舎を借り、土曜日毎の補習授業といった形で勉強させて行くことも止むを得ないことだったと思われますが、今やそのアメリカをも脅かす程の経済成長を遂げた国が子供の教育に関しては補習校設立当初の二十年数年前と同じことをしているのはどう考えても不思議に思えてなりません。現地校では一時的なことにせよ、言葉による障害のために自身喪失の状態を余儀なくされ、少なくとも精神的には解放される補習校では借用校だから、あれは触れてはいけない、これも触ってはいけませんと注意を受けることの多い子供たちに対して、国はもっと大きな力で支えるべきではないのでしょうか。
そこでお考えいただきたいのは、これだけ多くの子供たちをある一つの国に送り出す以上、そして、そうしなければ国の繁栄は有り得ないのであれば、国はその責任において後進国、先進国に関係なく初等部からの全日制日本人学校を設立するべきではないかということです。少なくとも、子供たちの年齢、性格、滞在期間等を考慮して日本人学校にするか現地校にするかの選択権を親に与えるべきではないでしょうか。日本人学校の設立によって、日本語を中心としながら英語を学び、アメリカ文化を学べるとしたら、今親の肩にずっしりと重い日本語への責任は少しは軽減されるかも知れず、親子共にもっと時間的な余裕も出来てくるものと思われます。また、急激な日本人の増加が原因で地区住民の間にしばしば起こっている「教育摩擦」も幾つかの地区への学校設立でかなり和らげられることでしょう。日本人学校が存在してなお自らの意思で現地校を選択する場合には、困難は覚悟の上ですから、親も子もその心構えはまったく違ったものになると思われます。政府が親にも子にも何の選択権も与えずして「現地校主義」を唱えるのは自国の子供たちに対する無責任の感は否めず、法律によって居住する地区の子供の入学を拒むことは出来ないにせよ、制限なく入ってくる日本人をとにかく黙って受け入れてくれている現地校に対しても礼を欠いてはいないでしょうか。そして、国がその「現地校主義」なるものによって、実際にはニューヨークなどの場合、日本人教育審議会で運営されている補習校や五年生以上を対象とした全日制日本人学校への一部補助をする以外、海外子女に何もしないでいる間に、日本からは大手学習塾がどんどん進出をはじめています。このような営利を目的とした受験産業の海外への進出はそれでなくても現地校と日本語の勉強で忙しい日本人の時間をますます縛りつけてしまい、塾へ通う回数が増える程、どう頑張ってもその分 現地校への適応、或いは英語習得が遅れることになりかねません。このことは、子供たちの現状を救うことにならないばかりか、数年後には帰ってしまうことが分かっていても日本人児童を手とり足とり指導して下さっている現地校教師に対しても非常に失礼なことであるばかりか、教育にかなりの額を地域税から支払っている地区住民に対しても配慮を欠くものです。子供たちにとっては、英語習得だけでさえ並大抵ではない努力を強いられているのに、その上補習校があり塾の進出があっては、その肩の荷はますます重いものと思われます。
いずれにせよ、これ程多くの自国の子供たちの教育が文化背景、言語をまったく異にする外国の教育方針に一任されていると言う事実、母国語の教育が補習校と言う名のもと、今なお借り校舎で持ち主の顔色をうかがうような状態でなされていると言う事実、設備の整った学校は営利を目的とした受験産業のみと言う事実は、国としてもっと真剣に考えるべき問題ではないでしょうか。今や二十数万のアメリカ人を使い、世界に冠たる経済大国となった日本であれば大国に相応しい子供たちの教育法があるのではないでしょうか。子供たちにどこにいても日本人としての誇りをもっと堂々と過ごさせる為には、少なくとも義務教育の間は日本国内の子供と同様、国の予算による初等部からの全日制日本人学校の設立は今どうしても必要と考えられ、それは自らの意志に関係なく連れてこれられる子供たちへの国としての責任ではなかろうかと考える次第です。
よろしくご考察を賜りますようお願い申し上げます。
続、拝啓中曽根総理大臣殿 (読売:1987年6月25日)
甘すぎる現地校への認識・・・・文部次官のニューヨークでみたもの
日本学校視察のため渡米された高橋邦男文部次官が、四月二十七日ニューヨークで答えられた読売新聞のインタービューに対して非常に気になる所が幾つかあり、次官の答弁は、政府の方針に沿ったものと考えられることと、三月十五日づけで差し上げた当方よりの手紙に関連するものと思われますので、再度便りをさせていただく次第です。
まず、「『現地校主義』は、日本人子弟を心よく受け入れてくれる米国の教育システムが存在しているから出来るものと思う。逆に、日本の政府として、日本人が世話になっている米国の現地校に政府として何をしたらよいと思うか」と、言う記者の問いに対して次官は、「そこまで政府が働きかけをしなくても、先進諸国が受け入れない、と言うことはなかった」と答えておられます。この点については、確かに米国の公立校は、法のもと、居住区の学童生徒の入学を拒むことは出来ませんから、政府が働きかけをする必要はない、と言えるでしょうが、だからと言って送り込む側が受け入れてもらって当然とする観点に立たれるのには問題があるように思われます。受入側にくすぶっている本音の部分に気付かずに「原則的には、自由諸国における国際交流と言うのは、お互いがその国の責任で気持ちよく受け入れてくれると言うのが出発点でなければならないと思う」などと言って、制限なく送り込んでいる間に、そのくすぶりが表面的な怒りとならなければと懸念されてならないからです。次官は続けて、「日本にしても韓国人の場合など、日本語が分かれば入学を認め広く積極的に門戸を解放している。従って、現地へいってその国の言葉が出来ないことによって現地校に迷惑がかかるという場合は、むしろ親自身の問題として解決していくべきだと思う」と述べておられます。この発言は、次官及び日本政府の海外における日本人児童生徒の立場に対する無理解さをあらわすものとして、非常に大きな問題を含んでいるものと思われます。日本では韓国人でも日本語が分かれば入学を認めているとのことですが、それは言い換えれば、日本語が出来なければ入学を許可しないということにはならないでしょうか。自国の学校では言語能力を入学条件とする国が、自分たちの子供を送りこむ国に対しては、ABCといった初歩からの教育を任せることに対し、何の矛盾もお感じにはならないのでしょうか。それとも次官は、本気で外国語習得が親自身の問題として解決される程度のもので、親がしっかりしていれば現地校への入学にあたって迷惑をかけない程度には外国語の理解が可能であるとお考えになっているのでしょうか。転勤の辞令を出した後、子供たちが入学先で困らないな程度の言語習得期間を出発前に与える職場があるとお考えになっているのでしょうか。例え、仮にそのような所はあったとしても、現実には少なくとも小学校以下では英語にはこちらへ来てはじめて触れると場合がほとんどと思われ、その上毎日の英語の中で生活してさえ、子供たちがどうにか授業についていけるようになるのに最低一年はかかると言う事実を考えれば、外国語習得が親の責任だけで解決されるような問題ではないことにお気付きいただくべきではなかったかと言う気がします。次官はまた、「子供の教育で現地の学校に負担がかかる分は、親へ協力を求める方向へ向かうべきではないかと思う」と言っておられますが、これに対しては、これまでこれほど多くの日本人児童生徒が増え続けながら、特にそれが問題として表面化していない理由もお考えいただきたいと思います。子供たちの健気な努力もさることながら、お世話になっていると言う姿勢を忘れず、自分たちに出来る限り学校に対し協力をし続けてきた母親たちの努力に負うところも大きいと思われ、その姿勢が伝わっていればこそ受け入れ側でも際限ない増加を不満に思いつつ本音を抑えている部分があるように思われます。それに対し政府の責任者がこの時期に「親に協力を求める方向へ」とされるのは現状の認識からあまりにかけはなれたもので、受入側にも日本人父兄にも配慮のない発言であると思わざるを得ません。
次官はそれからまた「現地校主義」は打ち出しているが、その問題(エッジモンド学区のESL(外国人のための特別英語指導プログラム)予算がカットされたことに対し政府としてはどう考えるかという質問)については、いちいち対応しきれないんじゃないか」とまるで人ごとのように答えておられますが、これも一国の代表としては考えさせられる発言です。「現地校主義」を少なくとも現在の政府の方針として唱えているのであれば、現地校で生じている問題を十分把握することも義務教育の子供たちに対する国の責任ではないかと思うからです。
とにかく、これだけ多くの人材を海外へ出さねば成り立っていかない国である以上、政府は十分その事実を認識されるべきで、海外における日本人児童生徒の視察にあたっても将来のリーダーである自国の子供たちの教育の実態を把握するという観点から、日本人学校だけではなく、大半の子供の通う現地校も視察されるべきであったという気がします。 現地の実態を十分把握いただければ、先に要望した初等部からの日本人学校設立の必要性もごよく理解いただけたのではなかったかと思われます。