Scarsdale
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エルサレムからテルアビブまで

アヤロン・インスティチュート

テル・アビブの南、キブツ・ヒルにあるAyalon Instituteは、かってキブツだった所で現在ミュージアムになっています。 2000年前にローマ軍に鎮圧されたあと各地に離散したユダヤ人は19世紀末ヨーロッパで起きたシオニズム運動をきっかけに20世紀初頭からパレスィナへの帰還をはじめ ますが、600万人もの人たちが殺戮されたあと、その動きに拍車がかかり、1948年、以前から住んでいたユダヤ人とともに「イスラエル」として独立します。その際独立に向けて準備をすすめていた人たちは、それを認めないアラブ諸国が独立宣言と同時に攻撃をかけてくることを予測していました。そこでイスラエル軍の前身である「ハガナ」と言う組織がキブツの下に軍需工場を建てるという秘密の計画をたてます。この計画は3週間 で実行にうつされ、ここで1946年から独立宣言をする1948年までに22万の銃砲を作って戦いに備えました。当時パレスティナは英国の統治下にあり、その存在を知られないために万全の注意が必要でした。秘密は家族に対しても守られ一日中太陽のあたらない所で仕事をしていることを誰にも悟られないように家路の前には人口の太陽で日焼けをしたのだとか。ミュージアムにはその部屋もそのまま残されています。

全く日のあたらない地下の工場で銃砲作りに励む若いキブツメンバー。

パンを焼いている下が工場になっています。

キブツの建物の下に密かに作られた軍需工場


イスラエルはその後も幾たびかアラブ諸国の攻撃を受けていますが、なぜ経済的にも人材の上でも比較にならないほど小さな国だったイスラエルが大軍を前に戦いに挑むことができたのかその背景の一部を垣間見た思いがしました。

アシュケロンとその周辺

シュケロン国立公園

アシュケロンはイスラエルで最も美しい海水浴場のひとつとして知られる地中海に面した明るい港町です。テル・アビブから南下してガザ地区の少し手前に位置しています。ヘデロ王の生誕地、ダリラに髪の毛を切られて神通力を失ってしまったサムソンが住んでいた所としても有名です。その港の重要性から有史いらい武力衝突が絶えませんでしたが、1270年にアラブ人に破壊されて廃墟となり、1920年に発掘調査がはじめられるまでこの町は完全に森の中に姿を消していました。現在アシュケロン国立公園に指定されている遺跡にたっているとそのあまりの静かさに700年もの間茂みに隠れていたというのが納得できる思いでした。

アシュケロンの遺跡

アシュケロンの遺跡



ガザとの境界に建築中の壁ガザ地区との境界アシュケロンはパレスティナ人の自治政府領域であるガザと境界をなしており、近くでは明け渡しを前に壁の建設が急がれていました。この壁についてはイスラエルにも反対意見の人は多いのですが、政府は自爆テロから国民を守るためやむを得ずと建築を続行しています。隣人との間に壁などの必要がない平和な日が切に待たれます。


ベイト・グブリン国立公園 (Beit Guvrin National Park)

Sidonian cave

紀元前2−3世紀にこの地に定着したシドニア・コミュニティの埋葬地。

Sidonian Cave

紀元前2−3世紀に定着したシドニア・コミュニティの埋葬地。この墓は指導的立場にいた2つの家族のために作られたもので、周りには動物の絵が描かれています。

Bell cave

石灰石を採掘する過程で出来た人口の洞窟


イフォ





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