ニューヨーク教育事情: 9.求められる父親の参

補習校をとるか、試合に参加するかで、土曜日はしばしば日本人の子供達にとって悩み多い日になりますが、アメリカの学校では、秋のサッカーに始まり、バスケットボール、フットボール、テニス、ベースボールなど、ほぼ一年を通じてスポーツ活動が盛んに行われています。この場合も運営は学校ではなく、ほとんどがPTAによって行われていますので、コーチをつとめるのも子供達自身のお父さんたちです。(希にはお母さんコーチもいます)

お父さんコーチには、医者あり、弁護士あり、銀行重役、企業役員ありと言った風で、みなさん普通はそれぞれの分野で多忙を極めておられる方々です。こう言う忙しい人達にとって、放課後や週末の一定時間を子供達の為に費やすのは、決して楽ではないと思われるのですが、それでもどうやって時間を作るのか、一週間に一、二回の練習や試合には必ず時間どうりに現れますし、どうしても、本人が来れない場合には代理のコーチがすぐ駆けつけます。この様に、自分の為に使える何らかの時間を削っても子供達と関わりを持とうとするのは、彼等がPTAへの参加を重要視している事は明らかです。我が子の成長に対する自らの役割にはっきりした信念がある事もその理由のようです。そして、その信念とそれに対する弛まない努力によって、彼等はそれぞれの家庭で、家長としての確固たる「父親の座」を維持しているように見受けられます。

一方、日本人父親の場合、その仕事にかける時間やエネルギーが、企業の繁栄をもたらし、世界に冠たる経済大国日本の礎となっているのは疑うべきもない事実ですが、仕事に体を奪われるあまり、家庭で父親が不在となっている様子は、子供達のスポーツ競技の際にもはっきりした形で地区住民の目にうつる所となっているようです。自分のご主人もあるスポーツのコーチをしているあるアメリカ人の母親は、その事について、こんな風に語っていました。

「日本人のお父さんたちは、何時も忙しいと言う事で、応援にも殆どいらっしゃらない方が多いんですが、我が子の活躍ぶりも楽しめないなんて何だかとてもお気の毒だと思います。子供たちだってお父さんに見ていただいたら嬉しいでしょうにね。アメリカ人の父親もここら辺に住んでいる人達はみなさん日頃猛烈に忙しい方ばかりですが、子供の為には何とかして時間をとるようにそれぞれ努力しているんです。要は誰がより忙しいかの問題ではなくて、何にプライオリティをおいているかと言うだけの違いではないでしょうか。ただ、コーチと言っても、専門の方々が仕事でやっている訳ではなくて、みなさんチームメートのお父さんなんですから、その方々に感謝の気持ちを伝える為だけでも、せめて応援には来ていただいた方がいいと思います。」 

彼女によれば、スポーツ競技がPTAで運営されており、コーチ陣も全てボランティアである以上、試合を観戦し味方チームに声援をおくるのも、立派なPTA活動の一環であると言う訳です。スポーツ以外の事でもアメリカの学校は日本で考えられているよりずっとPTA活動に支えられている部分が多いのですが、特に日本との違いとして知っておくべき点は、その仕事が母親だけのものではなく、両親の参加によって運営されている事であろうと思います。       

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10.疑われる日本人の人種偏見

 ニューヨークタイムズは一昨年、「日本でユダヤ批判の本がベストセラーに」と言う記事を載せた事がありました 。「ユダヤが解ると世界が見えてくる」とか「ユダヤ・パワ−」と言った本がよく売れていることや、歴史雑誌がユダヤ特集号を出していることなど、ユダヤをめぐる本が相次いでいる事を紹介し、それらのほとんどがユダヤ非難を売り物にしていると言うのが記事の主旨でした。これについては、その後、他の新聞や米議会でも問題にされて議員が首相あてに手紙を書いた事などが日本の新聞でも報じられましたので、記憶に新しい方も多いかと思います。

この事は、ニュ−ヨ−クに住む多くのユダヤ系の人達に非常に憂慮するべき事実として受け止められたようで、その後の彼等との話しの中にそれを痛いほどに感じることが何回かありました。事ある度にスケープゴートとして迫害の対象にされた過去の歴史を考えれば、ユダヤ非難の本が良く売れる背景にある日本人の反ユダヤ感情を彼等が懸念するのは当然の事だと思います。距離的には遠い所の出来事とは言え、決して無視してはならない問題としてとらえられたのもその為だったようです。

こう言った問題は、日本に住んでいる限り対岸の火事にも似て、自分に関係のある問題としては考えにくいものと思われますが、ニューヨークのように、隣人が、或いは子供達のクラスメートやその家族、学校関係者の多くがユダヤ系の人達であるような所では、それでは済まされなくなります。そうしたニュ−スによって自分たちまでが周囲の人たちに誤解されているかも知れないからです。 そして、その誤解を裏ずけるようで気になるのが、いまだに、「ユダヤ人はけちで金に汚い」とか、「金持ちで排他的」と言った言葉を時々日本人の口から耳にする事です。「何せ私たち日本人はジュ−イチですから」と言う言い方をする人にも会いました。ジュウイチと言うのは、嫌われているユダヤ人にプラスして嫌われている日本人と言う自分たち自身への蔑称なのだそうです。(ジュ−よりは少しましとしてナインと言う呼び方もあると聞きました)自分たちの事はともかく、他民族であるユダヤ人を嫌われた人種と決め付けて憚らない所には大きな問題があるような気がします。 

歴史の中で民族として共存した事もなく、それゆえに実際にはよく知らないユダヤ人に対する日本人のいわれのない偏見は、キリスト教社会の観点から欧米文化を吸収していった国の過去にその要因があるようです。キリストを救世主と認める者と認めない者の2千年にわたる確執の歴史は、私達日本人には分かりにくい所が多いのですが、はっきりしているのは、日本人のユダヤ人観が大多数である一方の目、つまり他人の目を通して得た先入観や偏見を基にしていると思われる事です。

相手の誤解を解き、自分たちの事をよく理解されたいと思えば、先ずは自分から相手を理解しようと努める事ではないかと思います。自分自身の目で直接見詰めることで、先入観の嘘、偏見の無意味さに気ずくとしたら、同様にユダヤ人の日本人に対する誤解、警戒も溶け、相互理解も不可能ではなくなることでしょう。この事はもちろん、ユダヤ人に限った事ではなく、あらゆる民族に対して言えることではなかろうかと思われます。

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11.日本人の人種偏見と固定観念

三年前中曽根元首相が「アメリカには黒人やプエルトリカンなどがいる為、教育の程度が低い」と言う主旨の発言をして、アメリカで問題になったことがありました。その意見が間違ったものであっただけでなく、例え本音の部分でそう思っている人がいたとしても公の席で、そうした発言をすることは、アメリカ人にとってはタブーとなっているからです。

日本人生徒の中にはそのことでアメリカ人のクラスメートから「日本人は人種偏見主義者だ」とか、「そんな程度の低い所で勉強しなくったって自分たちの学校へ行けばいいじゃないか」などを言う嫌がらせを言われた人も少なくなかったようです。私も、顔見知りのアメリカ人に、「自分たちの子供はどんどんアメリカの学校にいれておきながら、その国の為政者があんな発言をするのはどういうことでしょう。子供たちを送る側の父親が、あそこの家には出来の悪い子がいるので家族としての程度は低いなんて言っているようなものではありませんか。しかも他人の家の出来の悪い子がだれであるかを自分の先入観で決め付けているんですからね。まったく失礼な話です。」と言う言い方で憤慨を現された子とがありました。

中曽根元首相の発言の主旨はともかくと、これはいまだに日本にある白人崇拝の考え方が根底にあるような気がします。例えば、日本人が選ぶ住宅地に住む住民は人種の違いに関係なく教育に対する価値観や、社会の通念等はお互いに共通する所が多いのですが、日本人の子供たちが、「黒ちゃんとは遊びたくない」などと言うのを耳にすることがあります。黒人やその他の小数民族をアメリカ人分けて呼ぶことで、彼等をアメリカ人範疇にいれていない例も少なくありません。

また相手がだれであれ、クリスマスの時期にクリスマスカードを送ったり、宗教に関係なく日本人が自分の家にクリスマスツリーを飾ったりするのも、アメリカがキリスト教の国であると言う固定観念が基本になっているようです。大多数がキリスト教であるアメリカではクリスマスは全国的な休日にはなっていますが、この日を祝わないアメリカ人もまた多いことに留意する必要があるような気がします。例えば、キリストを救世主とは認めていないユダヤ系アメリカ人にはクリスマスを祝う理由はありません。クリスマスカードをもらって怒ったりする人はもちろんいないでしょうが、キリスト教徒ではない人に対する感受性のなさを問うている人はいるかも知れません。

「ミスターナカソネは、特定の人種のためアメリカの教育水準が劣っていると言っていますが、その点は間違っているにしても、私に言わせれば、様々な人種、宗教の違いを越えて成り立っている国であるからこそ、アメリカは素晴らしいのです。そしてまただからこそアメリカは、次々に入って来る日本人だって問題にもされず受け入れられているのではありませんか。アメリカについてもう少しちゃんとした理解が欲しいですね。」と、言う先の隣人の言葉が忘れない一言として残っています。

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12.子供たちのために「日本研究」をはじめた現地校・・・・変わりつつある現地校の日本人受け入れ体制

スカースデール学区のフォックスメドー小学校では、現在「日本研究」という教師のための勉強会が開かれています。会の主旨は、日本人児童生徒に共通して見られる優れた点から何かを学び取り、それをアメリカの学校教育に取り入れようというものです。それと同時に、日本人児童をもっとよく理解し、子供たちをよりスムーズにアメリカに適応させるには学校や教師は何をすべきかといった点についてアメリカ人教師が学習していくための会でもあります。

勉強会は、「ジャパニーズ・エジュケーショナル・チャレンジ」や「ザ・ジャパニーズ・オーバシーズ」などの著者であり、日本の教育に造詣の深いボストン大学のメリー ・ホワイト準教授を中心として行われます。教授はこのために定期的にボストンからこの学校へやって来ます。講演料や旅費などは全てこの地区の教育委員会で賄われています。これについて学校長のドクターマケーンは次のように語っています。

「日本人の子供たちが急に増えた事でわたしたちも最初は本当に戸惑いました。今も少々戸惑っているというのが正直な所かも知れません。でもわたしたちはこの状態をネガティブだとは思っていません。日本人の子供たちは実に健気に頑張っていますし、彼等からアメリカの学校が学ぶ所は少なくない事に気付いたのです。日本企業のアメリカ進出は、これからも増え続けるでしょうし、その結果に日本人の子供の数は今後も増えることは合っても減ることはないと思います。それなら、その状況に応じた積極的な対策をたてたうえ、日本人やその教育から学べる点は大いに学ぼうと考えたのです。」

日本人の増加に対して現在学校区の中にはこのように現状を積極的に受け入れ、それをアメリカの教育に役立てようとしている所もあります。多数の日本人の現地校への在席がもはや避けられない以上、本人たちやその社会、教育の背景をよく理解する事で出来る限り力になりたいと言う教育者としての思いも、勉強会の根底にあるようです。これは、現地校が日本人の指導に暗中模索をしていた状態、ネガティブな面が強調されないではいられなかった時期を過ぎて、それぞれの方法で解決策を考察し始めた一つの例であろうと思います。

それにしても、次々に入ってくる英語の話せない子供たちを温かく受け入れてくれるだけでなく、子供たちの背景についても学習していこうとする受け入れ側の積極的な姿勢は、送り込む側に依然として何の変化もみられない事を考えれば、驚くべき柔軟性だと思わない訳にはいきません。この受入れ側の努力に対して、送る側ももっと現実を直視し、受入側の負担を少なくするような方法を考察する必要があると思われます。

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13.教育関係者からの日本人家族への提言

今回は日本人を多く抱える学校の校長、教育委員会の方々に伺った話しから、日本人家庭や「送り手日本」に対する提案を紹介したいと思います。

まず、両親、特に学校との接触の多い母親への要望として一番置く寄せられたのは、学校とのコミュニケーションをもっと密にして欲しいと言う意見でした。日本人の母親の中には、英語にほとんど支障のない方が以前に比べるとずっと増えているのですが、全体から見ればまだ少なく、日本人父兄とのコミュニケーションの難しさは学校にとっても相変わらず大きな問題であるようです。スカースデール学区、E小学校の校長、ドクターデンプシーはそのことについて次のように話しています。

「子供はご承知のように学校と家庭という二つの世界に住んでいます。ですから、双方どちらに問題があってもそれは必ず他方にも影響をおよぼすものです。親と教師が常に密接なれんらくを取り合うことが重要なのはこのためです。PTAやコミュニティへの参加はもちろん大切ですが、先ずは子供に充実したアメリカ生活をおくらせるためにも、会社は赴任前に父親だけでなく母親に対する英語のトレーニングを行うべきだと思います。」 ドクターデンプシーは続けてこんなことも訴えています。

「またそれにもまして最近気になるのは、睡眠不足ではないかと思われる日本人の子供たちが増えていることです。朝から眠そうだったり、実際に授業中に居眠りを始めたりする子もいます。子供の成長にとって適切な睡眠は不可欠な要素ですから、アメリカ人の子供でも宿題が他の子と同じでは無理だと思われる場合は、その子に応じて少なくします。日本人の場合は、宿題を父親に見てもらう場合が多いため遅くまで起きているらしいこと、やジュクや補習校の勉強も夜更かしの原因であるようです。しかし、子供の年齢を考えるとこれは非常に気になります。母国語の学習が大切なことはよく分かるのですが、アメリカの学校で子供を学ばさせている間は、学区では子供達が英語の学習に集中できるような環境作りを是非家庭でお願いしたいのです。」と言っています。

スカースデール学区副教育委員長は次のような考えです。英語と日本語を両立して学習していくのは本当に大変だと思いますが、多くの場合、子供たちは驚くほどそれをうまくこなしています。ただ、それが負担になってきている子供が最近増え始めているのが気になります。私達の地区では「日本研究」などを含めて、日本人児童をよく理解し、そのよりよい指導法を考えていくなど、出来るかぎりのことをしています。しかし、日本語の勉強にも忙しい日本人の子供たち全てのニーズに添えるかと言えば、これは難しく、我々の成し得ることには限界があると言わねばなりません。ですから負担が重すぎる子供、例えば英語と日本語の両立が困難と思われる場合や滞在期間が短い場合など、希望すれば学年に関係なく入れるような日本人が学校が通学可能な距離に必要と思いますよ。授業中に日本語が飛び交ったり、遊びもほとんど自分たちだけで固まってしまう程日本人が多くなっている現在、その必要性は以前にもまして大きいと思います。」

アメリカの学校の積極的な姿勢に真摯な態度で応えるためには、これらの提案は無視されてはならないような気がします。

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 14.アメリカ人の本音と建て前

 先日、知り合いのアメリカ人教師から、日本のある新聞社からインタビューをうけたのだけれど、それについてになることがあるので頼みがあると言って次のような電話がかかってきました。質問の内容が、日本人が多くて学校が困っているのではないかと言う点に絞られていたこと、聞き手の口調にどうしても日本人に対する不満を聞き出したい様子が感じられたのでそれについては否定したが、取材側の意図に自分の意見が混同されるように思われてならないので、記事になる前に発言が正確に受け止められて要るか確認したい旨、新聞社に伝えて欲しいと言うものでした。彼女が強調したかったのは、子供たちに問題があればそれぞれの方法で学校が対処するべきであるし、教師の立場からも、学校に在席する様々な生徒の中から、特に日本人だけを取り上げて否定的な意見をのべることは出来ないと言うことだったようです。

この欄で私は過去一年、ニューヨークに20年近く暮らしている者として、また最近ではアメリカの学校に勤務しながら直接現場で子供たちに接する者として、学校関係者や住民の生の声を聞き、その中から日本人に耳が痛いであろうと思われる部分を意識的にとりあげて報告してきました。これに対し、日本から取材にこられる方々や実際に子供を現地校に通わせている日本人父兄から、「アメリカ人から本当にそのように否定的な声が出されているのかと聞かれることがあります。

住民が直接面と向かって日本人に何かを言うとと言うことはまずありませんし、特に外部からのインタービューなどに対しては、人種偏見ととられ兼ねないことを危惧して、またそれぞれの立場などを考えることなどから、返事は通り一片の子供たちに対する賛辞の声に繋がることが多いからです。もちろん賛辞の面も日本人の子供たちの健気な努力をみれば、当然と言う部分もあるのですが、多民族が国家をなしているアメリカの学校では、その建国のなりたちや教育システムのありかたから言って、例えば問題が歴然としている場合でも一つのグループだけを公に取り上げることは非常に難しいのだと言うことに留意する必要があります。そして、こうしたアメリカの事情が、日本側に問題の本質を見えにくくしているようで、現場で見ている限り、国や企業によって状況改善のための積極的な試みが何もなされていないのはここにもその要因があるようです。

しかし、それが公に云々されるかどうかは別として、言葉が分からず、アメリカに対する知識をもたず、しかも時期を選ばず次々に入って来る子供たちに対して受入側が対処に苦慮していることは事実です。そして、それにもまして気になるのは、日本人集中が与えている影響を一番強く受けているのはうけいれがわよりは日本人の子供たちであると言うことです。学校区の中にはスカースデールのように現状を積極的に受けとめ、子供たちの早い適応に力を貸すため、学区全体で日本研究をしている所もありますが、そんな学校ですら、日本人が多いために 日本人の間で起きてくる問題にはどうすることも出来ないのです。その様子は今や、「日米」ならぬ「日々教育摩擦」とでも言うべき様相を呈し始めている感があります。

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15.「日々教育摩擦」

前回では日本人の集中が問題になっている場合でもそれが公にされることは少ないと言うことを書きましたが、その原因の一つにはこれが主には日本人自身の問題だからと思われます。

つまり、アメリカの学校で学びながら、四六時中日本語を話し、日本人とだけ付き合い、放課後は塾、土曜日は補習校といった日本人(もちろん全てではありませんが)の子供たちの生活はアメリカの学校にはどうすることも出来ない部分が多いのです。最近よく耳にする「日米教育摩擦」と言った現象がこれまでに上げた様々な事情から、実際にはおきていず、むしろ「日々教育摩擦」とでも呼ぶべき様相をしているのはその為です。

あるアメリカ人の母親はその事について次のように語っています。

「最近、日本人の子供には名前がなくなったのではないかと思われることがあります。我が家には4年生と2年生の男児がいますが、以前は2人とも少なくとも学校では日本人の子供たちと遊んでいまして、それぞれ名前で呼んでいましたのに、最近では日本人はみな「あの日本人の子」になってしまったのです。私は自分の子供たちにはだれとでも仲よくするように言い聞かせているのですが、誘ってもすぐ自分たちだけで固まってしまうのだそうです。せっかくアメリカの学校にいるのに残念です。」

授業中に眠ってしまうほど塾や補習校の勉強で忙しいらしい子供たち の様子も真面目な現地校教師を悩ませる原因になっています。しかし、彼等もいずれ帰国する子供たちがその肩に背負っている日本の教育事情には自分たちが何の力にもなれないことをよく承知しているのです。

この一年の現地校関係者との話し、現場での観察から最も強く感じたのは、日本人の一定学区集中のもたらすインパクトを直接うけているのは詰まるところ、他ならぬ日本人の子供たちであると言う思いでした。現地校がいかに日本の理解に努め、好意的にうけ入れてくれたとしても、現実には子供はその数の為に固まってしまいます。塾の為の勉強 も一日の重要な要素となっている極めて多忙な生活。これは実際現地校の関知し得ない問題です。

日本では政府や企業の方針がしばしば外国からのプレッシャーで変わったりすることがあるようですが、こと教育に関する限り、それぞれの学校区で運営の方法や方針が違うことも あり、アメリカの学校から日本に対して何らかの要請が出されるなどと言うことは恐らくないでしょう。しかし送り手としては何時までもその状態を甘受するべきではないと思うのです。アメリカの学校に対する配慮と言う意味ではもちろんのこと、先ずは健気に頑張っている子供たちの為に国や企業による一日も早い適切な考察がなされることを心から祈って私の報告を終わります。

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