教育の現場から: 米国に上陸した日本の教育事情 (OCS誌・1988年12月9日号)

日本人の急増と住民の反応

ニューヨーク近郊では現在、約五千人の日本人児童生徒が見地校に通学しているが、そのほとんどは、ウエストチェスター、ニュージャージー、ロングアイランドなどの環境のよい住宅地に集中している。マンハッタンへの通勤に便利で、教育程度が高く、安全な住宅地であるといった点で共通しているこうした地区には、今やクラスの三分の一が日本人を占めるのはざら、半数近くが日本人という学区もある。日本政府は、先進国に於ける子供たちの教育を、現地校に任せるという方針をとっているが地区住民にうつる実際の様子は「自分たちの都合だけで子供を送りつける」結果となっている。

あるESL(特別英語指導)教師は、その様子を、「ちゃんと新学期から来てくれれば何人入ってもそれなりの計画は立てられるのですが、こんなふうに時を選ばず入ってこられてはねえ..」という言葉でその困惑を現していた。教師の側にすれば、人数もさる事ながら、九月の新学期ではなく、一年を通じて予告なしに入って来る編入生、特に、一学年がほとんど終わりかけている三月、四月に来る子供たちの指導には大変困難な所があるようだ。

英語が話せない生徒が増えることで授業が遅れるといった不満や、学校区のESLやバイリンガル・プログラムの予算が増えることなどへの不満をはっきり口にしはじめた地区住民も少なくない。特に最近は、日本企業の不動産やアメリカ企業買収などの頻繁なニュースで、経済大国としての日本の名声はこちらで鳴り響いているという感があるので、「どうして金持ち日本の子供たちの面倒を自分たちの税金で見なければいけないのか」といった声もしばしば聞かれるようになった。日本企業の工場設置が、住民の雇用に繋がり、生活を潤すといった地域と違って、ここでは日本人の増加が直接メリットになることは何もないのである。

とはいえ、ESLやバイリンガル教育は、連邦政府や州政府の法律で定められたものであり、住民税を払って居住している者の、当然受け得る権利ではあるし、アメリカ建国のなりたちからいっても、英語を話せない子供たちの増加を公に云々することに抵抗がある事や、日本人を指摘することが特に一民族に焦点をあてた人種偏見の発言として受け取られかねないなどの政治的配慮もあって、これらのあつれきが公的な場所で論じられたりすることは少ない。貿易摩擦にみられるような国家的スケールで議論がなされる場合と違って、鬱積の対象は国や大企業であっても、本音の部分を口に出すことで一番傷付くのは、隣人や子供のクラスメートの親たち出あることは、住民もよく承知しているのである。こうした様々の水面下の声は、外側から、特に日本サイドから問題を非常に見えにくくしている一面あるように思う。

 日本語が飛び交う現地校の環境

ではクラスの三分の一から半数近くが日本人であるという現地校に学んでいる子供たち自身の実際の様子はどうであろうか。アメリカの学校に学びながら、休み時間や放課後はいうにおよばす、従業中にすら日本語が飛び交う現状が、日本人の子供たちの為にこのままでいいものかどうか。父親の赴任に伴って自らの意思に関係なく、ある日突然といった形で言葉も文化もまったく異なる世界に連れてこられる子供たちにとって、見知らぬ土地で日本語が通じるということは、精神的な面から決してマイナスでないことは確かである。 しかし、日本語を話す割合と英語習得の時間は比例するという事実や、ほとんど英語だけで話していてもどうにか授業についていけるようになるのに一年はかかるといういうESLやバイリンガル教師の報告を聞いたりすると、日本人同士の接触が多いために逸しているかも知れない子供たちの英語習得の時間が危惧されないではいられない。教師の中ににも、個人差はもちろんあるとして、日本人が少なかった頃に比べると、最近の子供の方が英語の世界に入って来るのに時間がかかることを指摘する人は多い。また、小人数の場合は、率先してアメリカ人の中に溶け込み、遊びの中から英語を習得していった子供たちが最近では日本人同士で遊ばなければ、「仲間外れ」にされるというようなプレッシャーもあって、アメリカの学校にいながら、アメリカの子供たちと遊んだ経験がない、という子供たちが多くなりはじめているのも見逃されてはならないだろう。これは一方、アメリカ人の教師や子供たちに、日本人は自分たちだけで固まるという印象を与える結果になっている。

このことは、例えば、全日制日本人学校のように、アメリカ人の友達はあまり出来ないにせよ、少なくとも日本語での勉強には集中出来るといった環境にある子供たち、或いは、日本語の力は一時的には落ちるかも知れないけれど、アメリカ人の友達と遊ぶことも含めて、終日英語に接することで早い時期に英語の世界に入るという日本人の少ない環境にある子供たちと違って、アメリカの学校で学ぶことの意義をある意味で中途半端にしているのではないかと懸念する。

 学習熟の海外進出がもたらすもの

日本人の存在が顕著になるにつれて、地区住民から「これほどの日本人がいるのに、日本人はどうして自分たちの学校を作らないのか」といった疑問がしばしば発せられるようになった。自分たちの子供が英語圏でない学校で勉強することが分かったら、赴任先にまず、アメリカン・スクールがあるかどうかを調べるという多くのアメリカ人にとって、これほど子供の数がいるのに、近くに日本人学校がないのは、理解しがたいことのようだ。現在、全日制の日本人学校はニューヨーク教育審議会によって設置された小学校四年生以上、中学三年生までを対象とした学校が一校と、他に小規模の私立の小学校が数校あるにはあるが、定員が制限されていることや、ある者には距離的に遠すぎて通学が不可能、学年によってはまったくその対象になっていないことなどから現実には日本人学校を選択する権利のある者は少ない。それゆえ、大多数の子供たちは好むと好まざるにかかわらず、現地校で英語を学びながら土曜日ごとに補習校へ通ったり、その上に通信教育を受けたりして日本語の勉強を続けている。

現地校や補習校での宿題を毎日こなしていかなければならない生活は、学年が上がるにつれて子供たちの毎日を非常に忙しくするが、近年学習塾がニューヨークに進出して以来、子供たちには塾の勉強も追加されはじめた。新聞、テレビのニュースやその他の様々名情報がほぼ日本と同時にこちらにも伝えられるようになったことや、大手学習塾の進出は、アメリカにいても目はいつも帰国後の日本の現実に向けて暮らさざるを得ないという状況を生み出してしまったようだ。

外国で得た子供たちの貴重な体験が、帰国後必ずしも正当に評価されているとはいえない日本の現実を考えれば、日本へ帰ってから子供が困らないようにと、例えば現地校はほどほどにしても補習校や塾の勉強を優先させる親がいたとして、それは個人の選択であって、そのありかたを云々することはだれにも出来ない。

ただ、塾での勉強が忙しくなれば、その分英語習得に費やす時間が削減されるのはやむを得ないことのようで、このことは、現地校教師の立場を難しく複雑にしている部分があるようである。時期をえらばず入って来るだけでなく、解決されていない日本国内の教育事情、帰国子女の受入体制のありかたなどがそのまま持ち込まれている現状に対して、日本人に対する英語指導の限界を感じる現地校教師がいたとしてだれに責めることが出来るだろうか。

現状に対して

★政府、企業への考察要望

そこで、まず人材を派遣している日本企業に早急に考慮いただきたいことは、自社駐在員家族の居住状況を正確に把握し、今直ぐには無理としても、これから赴任先に向かう家族に対しては、現状の説明と共に、一定地区に日本人児童が極度に集中しないような情報提供なり、指導なりを日本でして欲しいという事である。実際にこうした指導をされている所もいくらかはあるようであるが、家族が正確な予備知識を与えられて現地へ向かう例はまだ非常に少ないといわなければならない。これについては、政府も「現地校主義」を唱えているのなら、少なくとも子供たちがどの国のどの地区でどの様な教育を受けているかぐらいは正確に把握しているべきものと思う。そのためには、例えば、しかるべきセンターなどを設置して、海外で学ぶ子供たちの数や実情をモニターし、一定学区への急激な集中で、日本の教育事情までが現地校にもたらされることのないような対策を早急に検討するべきではないか。

次に、所定の税金を払って居住する者の入学を拒む権利はだれにないとはいえ、時を選ばず際限なく入ってくる子供たちをとにかく受け入れて指導してくれている現地校に対しては、日本人の集中する学区のESL教育やバイリンガル・プログラムなどに対して、何らかの経済援助がなされるべきではないかと思う。

これらのプログラムは、連邦、州政府の規定で最低限補償はされているものの、予算編成の際の住民の声など反映して、突然カットされたりすることも少なくない。そんな場合もその影響をもろに受けるのは他ならぬ日本人の子供たちなのである。援助の必要性などについては、学区によってそれぞれシステムも違うため、それをどうした形にするかという調査をしたり実際の援助を行うのは前述したセンターとで行うことが考えられる。

日本での情報提供、指導にかかわらず、今後も日本人が一定学区に増え続けるとしたら、企業は現存の教育審議会等を通して、初等部からの日本人学校を設立するべきであると思う。これだけ一定地区に日本人が増えれば、現地校にいたとしても日本人が固まってしまうのは当然のことと思われ、それならば、日本人学校を作ることによって希望する者には母国語で勉強を続けさるという環境を与えたほうが、子供たちは得るものが多いと言う気がする。少なくとも、本人の年齢、性格、滞在期間等を考慮してどちらにするかの選択権は親にも子にも与えるべきではないかと思う。

また他に方法がないために現地校に通わせてはいるものの、実際には日本語の勉強に重点をおいた生活をしていると言う人たちのためにも日本人学校は必要である。国や企業が、せっかくアメリカにいるのだから、現地校で学んで国際人になって帰ってこいなどといくら声を大にして叫んでも、帰る所の受け入れ体制がそれに即していないのであれば、アメリカの学校にいながら目は日本に向いたままと言う人たちも当然増えて来ると思う。

初等部からの日本人学校があれば、日本語に重点をおきたい人達はそちらで学べばよいのだから、日本の事情にアメリカの学校を巻き込むことは少なくなるはずである。このことは、日本人学校が近くにあったもなお現地校を選択する者の姿勢をはっきりしたものとし、教えるほうの立場もある意味で楽にするのではないかと思う。もちろん、アメリカにある日本語学校である以上、アメリカ人や日本人の永住子弟も学べるような学級の存在が理想的であるのは言うまでもない。

 ★父兄への要望

 企業や政府の協力なしに個人の力ではもはやどうにもならない部分は多いが、地区住民に気持ちよく受け入れられるための要素は以前にもまして一人一人の肩にかかっているように思われる。これまでも子供たちへの健気な適応への努力や、お世話になっていると言う姿勢を忘れずPTAの活動などに協力を続けてきた母親の態度は高く評価されてきた。実際、図書の手伝いなど、英語力をそれ程必要としない分野の仕事では日本人の母親の活動はその学校でなくてはならない要素となっている部分も少なくない。ただ、PTA総会や教育委員会などの会合への出席者が少ないことなどからアメリカの学校に関心がうすいと思われている所があるのも残念ながら事実である。子供たちの学校や地域活動に関心があると言う親の姿勢を理解させるためには、英語力に関係なく、両親共になるべく学校関係の集会には顔を出した方がよいと思う。発言の有無にかかわらず、熱心な住民として目立つことも時には必要ではないかと思うものである。

アメリカのPTA活動はまた、放課後の学習や、スポーツにも及んでいて、週末のゲームでもコーチを勤めるのは、クラスメートや同じ学年の子供たちの両親である。特に、スポーツの場合、日本人の子供たちは応援にかけつける父親の少なさでも定評がある。たかが、子供のスポーツと思われる向きもあるかもしれないが、自分たちの貴重な時間を子供たちのために費やすのは、父親にも母親にもそれなりの信念があるからのようで、彼等のゲームに対する態度は真剣である。日本人の父親は、週末でも仕事やアテンドで忙しい人も多いようだが、子供を指導するコーチや他の父母への姿勢を現すためには、試合観戦やチームへの声援は低限必要であり、そのこともまた重要なPTA活動、地域活動への参加だと思う。

これ以外にもアメリカの学校は日本で考えられている以上にPTA活動によって支えられている部分が多いが、これらの仕事はもちろん母親だけでなく、両親の協力で成り立っているものである。現地校に子供を通わせる以上、各自がそれぞれのPTAのありかたを理解し、出来る限りその活動に参加することによって、よき住民としての姿勢を示すことは、自分たちの子供のためだけではなく、これから赴任して来る人達のためにも不可欠な要素ではないかと思われる。

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