教育の現場から: 米国に上陸した日本の教育事情(2) OCS誌1990年11月6日号
ニューヨーク・タイムス」が取り上げた地域での日米摩擦
去る七月二十二日、「ニューヨーク・タイムス」は「ニューヨーク地域の日本人、人種偏見の被害に」と言うタイトルで、ニューヨー郊外に住む日本人が、短期滞在、永住に関係なく同胞の急激な進出と日米間の経済摩擦によって、住民の反発をも肌で感じるようになっていると主旨の記事を一面で取り扱った。
幾つかの例を挙げて述べられたその内容については、二十年近くニューヨークに住み、学校区の日本人増加の様子を直接目にしたり、公にならない部分での住民の声にもしばしば接している者としては、特に目新しいニュースとも思えなかったが、ある意味で興味深かったのは、こう言ったことをアメリカ側のメディアが取り上げ始めたことで、日本側にもその対処が迫られるのではないかと思われたことだった。
実際、記事の中でのべられている大半の事柄は、日本の新聞や雑誌では数年来何度か取り上げられていたものであり、アメリカに住む日本人の中にはきたるべき事態を警告していた人達も少なくなかったのである。
私自身も、PTA活動や地域活動を通して目にする日本人集中区にの日本人の様子は、本人たちのためにも、現地校のためにも非常に懸念すべき一面を呈しはじめているように思われたので、送り出す側の早急な考察の必要性などについてを日本政府に手紙を書いたり、新聞や雑誌への投稿などでその旨を訴え続けてきた。
しかしながら、国家間の論争などとは違って、こうしたことで地区住民の声が表面化されるのは極めて少なく、そのため、アメリカではそれが記事にされることも余りなかったためか、日本ではこの現状をさほど憂慮する事態とはとられなかったようだ。現場で見ているかぎり年々増加する子供の数にかかわらず、それに対する送る側の配慮がほとんど見られないのはそこにも要因があるようだった。
その意味で、今回のニューヨーク・タイムスなどの記事は、表面化され始めている地区住民の声を反映するものとして、今度こそはっきりと適切な対処の必要性が日本に伝わるのではないかと言う期待を抱かせたのだった。同時にそれでもなお現状が続くようであれば、日米摩擦は草の根レベルでも一層深まっていくのではないかと言う危惧もまた強く感じないではいられないものだった。
受験産業の繁栄と現地校
さて、私は、前回、ニューヨーク周辺の一定地区集中がもたらしている問題点の指摘と、それに対する提言をさせていただいたが、その後PTAや地域活動を通して、また現在はスカースデール学区のフォクスメドー小学校に勤務しながら学校内部からもその様子を見る限り、送る側からの改善の動きがほとんど感じられないのは前述した通りだ。
この間、営利を目的とした受験産業だけは目覚ましい進出を遂げ、今やニューヨーク周辺の日本人にとって、放課後の塾への通学は普通の生活になってしまっている感があるし、塾が主催する日本の高校や大学への入学を対象としたセミナーなども頻繁に目にするようになった。
しかしながら、日本の教育事情がそのままニューヨークにもたらされたために生じるこうした変化は、日本人にとっては帰国後のための準備を容易にしている部分があるにせよ、現地校が抱えている問題の解決には何の役にもたっていないし、のみならず、ある面で状況をより複雑にしている。この結果、日本人集中学区の現地校は、今やその数の多さ、一定していない編入時期、新しい地域社会、学校、異なる言語に対してほとんど何の予備知識も与えられていない子供たちの指導と言う従来の課題の他に、ここ数年は「日本」と言う荷物を肩に担いだまま在籍している子供たち、そのためにアメリカ人のクラスメートとの交流も疎遠になりがちな、そして朝から疲れているように見える子供たちを、いかに教育していくかと言う問題にも直面しているのである。
そこで今回は、このように自らに委ねられた様々な問題に対し、現状を正確に見極め、積極的にその対処に努めている現地校の一例としてスカースデール学区がアメリカの企業の援助で行っている日本人中、高校のための特別プロジェクトとフォックスメドー小学校が行っている教師のための勉強会、「日本研究」について述べてみたい。
スカースデール学区の受入に対する努力
フォックスメドー小学校はスカースデールの学校編成の影響で4年前から日本人児童が増えた所で現在全体の二十%となっている。学校長のドクター・マケンは、「日本研究」をはじめたいきさつを次のように説明する。
「日本人の子供たちが急増したことで確かに最初はその指導に戸惑いもありました。でも世界の経済情勢などを考えれば、この状態は今後もそれ程変わることはないと思い、それならば、積極的に現状を受け入れていこうと思いました。
「そこでまず最初は、子供たちの迅速な適応のために手を貸してあげるには、彼等の背景をよく理解することが必要だと思い、日本文化、教育などに関するセミナーに出席したり、関係書籍を読んだりすることから始めました。」
「まもなく、子供たちのすばらしい学習態度に接するうちに、アメリカの学校が日本の教育から学ぶべきことが少なくないことに気付いたのです。それで、まず、この分野に造詣の深いボストン大学のメリー・ホワイト準教授をコンサルタントにお迎えして、みんなで勉強していくことにした訳です。」
メリー・ホワイト教授は、「ザ・ジャパニーズ・エジュケーショナル・チャレジ」や「ザ・ジャパニーズ・オーバーシーズ」などの著者で、日本の教育に関する研究ではアメリカの第一人者の一人である。勉強会は彼女を定期的にボストンから迎える形で行われている。その内容は教授の講義と、それに対する質疑応答、ビデオやスライドを使った日本の学校紹介、教師の研究発表などだ。教師は教授の指導のもと、幾つかのグループに分かれ、それぞれ父兄へのアンケート調査、日本の教育に関する書籍、論文のまとめ、教室内や校庭での日本人児童の観察などを行っている。最終的には新しく編入して来る日本人の子供たちや親たちに向けてのアメリカの学校案内が日本語で纏められるようだ。
スカースデール学区は、このほかに中、高校生のための様々なプロジェクトを計画し、その実践のため現在アメリカの一企業に資金援助を申請している。申請の要旨は次のようなものだった。
「スカースデールの外国人生徒はこの5年間に三倍に達し、スカースデール高校では、現在ESL教育を受けている生徒が全校生の二十%,そしてこのうちの90%は日本人である。日本人の増加に伴って日本人生徒がお互いだけで固まり、アメリカ人との間に交流をもたなくなったことは、学校全体がもっていたこれまでの雰囲気を著しく変化させることとなった。この変化は教師ー生徒間の関係にもみられ、英語力の十分でない生徒がクラスの比重を占めることで授業の活性が妨げられること、日米の教育、文化の違いのためにアメリカの学校、特にスカースデール学区が重要視してきた教師ー生徒間のインフォーマルでパーソナルな関係を日本人生徒との間に作り上げることが非常に難しいこと、人数が多すぎて個人のニーズに応じた対応が出来にくいこと、などが多くの教師によって指摘されている。
スカースデールは、こうした変化に対してこの五年間様々なプログラムを作って、その改善に努めてきた。例えば、生徒のためには、偏見をなくすための「偏見克服プログラム」環境問題を一緒に解決するための「ペーパー・リサイクリング・プログラム」新しく編入して来る日本人を助けるための「生徒によるカウンセリング・プログラム」などがある。教師を対象としたものとしては、日本文化、教育などについて定期的に研究会や講演会を開いて学習の場を設けて来た。
しかし、日本人とアメリカ人を文化の壁を越えて強い絆で結ばせるには、また、日本人生徒と教師間の関係改善に力をいれることで従来通りの活力ある授業を続けるためには、我々はこれまで、以上の努力をしていかなければならない。スカースデール学区ではこのため、三年計画でプロジェクトを実践したいとしており、そのために資金援助を申請するものである。
計画されているプロジェクトからここに幾つかその内容を抜粋する。まず、生徒を対象としたものには、1.アメリカ人生徒が新しい外国人生徒の世話を引き受ける「メンティ・メントア プログラム、 2.日本人とアメリカ人生徒を一緒に地域活動に参加させるための「ペーパー・リサイクリング プログラム」,3.高校のカリキュラムに日本文化、日本語を導入し、中学校で日本文化紹介等を行う、「文化交流プログラム」などがある。 教師のためには、1.日本の教育に関する定期的な講演会、2.日本人生徒との関係改善のため、アメリカ人父兄と円滑な関係を築き上げるためのセミナーなどが計画されている。
ESLプログラムでは、職員の増加と日本人生徒に対しアメリカ文化、習慣等の指導を強化、日本人父兄のためには、適切なオリエンテーション。日本企業に対しては、現地校の抱えている実情を善く理解してもらうため、企業とのよりよい関係を樹立するためのプログラムなどが考えられている。
以上は、アメリカの一学区が現状改善のために行っている試みの例であるが、日本からの送りだし方に何の変化もないことを思えば、日本人集中区の学校ではどの学校も多かれ、少なかれ、その対処には苦慮を強いられているのではないかと思う。
これに対し、日本人父兄の中から、「税金を払っているのだから現地校が子供の面倒を見るのは当然」とする声も時々耳にする。個人的には確かにそうだろう。しかし、クラスの二割、三割を占める日本人の子供たちが日本の教育事情をそのままひきずって、アメリカの学校に在籍するようになっている現状は、スカスデール学区の例でも明らかなように、今や学校税だけではとうてい解決できない問題を現地校に委ねていると言えそうである。そこで再び、子供達を送り出す日本企業、政府に対し、現地校関係者の声を含めて提言をさせていただきたいと思う。
再び現場からの提言
まず、日本側による現状把握と、家族に対する赴任前のオリエンテーションに必要性について。ニューヨークでは、現地校の日本人の増加が日本の新聞や雑誌で取り上げられるようになって久しく、私もこの欄で、或いは新聞、雑誌などへの投稿で赴任前のオリエンテーション、日本人が集中しないような指導の必要性を訴えてきたが、驚くことに日本からやって来る人の中には、「子供を学校へいれてはじめて日本人が多いことに気付きました。」と言う人がいまだに非常に多い。新しい土地に対する予備知識がほとんど与えられていないことに対しても、「行けば何とかなると思っていました」と言う人も多い。こうした送りだし方も、一定していないその時期とともに、受入を難しくしている要素の一つとなっており、企業による配慮が望まれる所だ。
このことに対し、エッジウッド小学校校長のドクターデンプシーは、「ご承知のように子供は学校と家庭と言う二つの世界に住んでいます。ですから、そのどちらに支障があってもそれはすぐ他方に及ぶのです。家庭と学校が密接に連絡を取り合う必要があるのはそのためですが、日本人のお母様方とは言葉の障壁もあって、コンタクトが出来にくいと訴える教師が少なくありません。PTA活動などに参加するのはもちろん重要ですが、それより、先ずは子供たちに健全な学校生活をおくらせると言うだけのためでも、企業は父親だけでなく母親にも日本を立つ前に基礎的な会話習得を含めて、海外生活に対する研修を与える必要があると思います。」と語っている。
ドクターデンプシーは続けて、「家族を送り出す時期にしても、他の国のほとんどの駐在員家族がそうしているように、新学期に備えて夏休みに渡米させるなどの方法は考えられないものでしょうか」と強調した。
一定学区に日本人が集中しないような指導の必要性については、現地校の数に限りがあり、日本人がこれからも増え続けることを考えれば、実際にはそれはもはや不可能かも知れない。それならばスカースデール学区に見られるように、受入側が既に現状を正確に見極め、その対処に努力している昨今、送り出す側も早急に現実に沿った対策を考慮すべきではなかろうか。
そこで、次に必要と思われるのが、企業によるコミュニティ、特に現地校との関わりである。ただし、これはアメリカの大学などに対して現在行われているような、企業の個別の寄付といったものをさすのではなく、まず現地校の日本人児童生徒数や問題点を把握し、実情に応じた対処を可能とするため、そうした業務を専門とする、教育センターとでも呼ぶ事務局を設置した上で行う。そしてその業務には、例えばこれまでスカースデール学区が、地区予算で賄ってきた「日本研究」などのプログラムや、アメリカの企業の資金援助で行われている様々のプログラムの支援、学校からの要望に応えて、それぞれのニーズに応じた講演者、通訳などの派遣、適切な専門家の紹介、ESLなどに対する経済援助の要請があった場合の、実情に沿った対処などが含まれよう。
また日本人父兄のためには、各地域で活躍しているボランティア組織との協力による新しい人たちのためのオリエンテーション、その中で地域、PTA活動への参加の重要性について説き続けると言った仕事も含まれる。
私は1986年の創設以来、各地域で日本人父兄に対するオリエンテーションやアメリカ人教師を対象とした日本の教育に関する講演、現地校教師、日本人父兄を対象としたアンケート調査などを行っている「ジャパン ハンズ」と言う組織に参加しているが、こうした仕事がボランティアだけに任されるには時間的にも費用の面からも個人の負担が掛かりすぎるものである。
日本企業がこうして事務局などの設置によって現地校と深い関わりをもつことは、子供たちや学校のためだけではなく、子供たちの教育を現地校に任せっぱなしにしているのではないと言う、自らの姿勢を示すためにも必要ではないかと思う。これだけの子供たちを送り出していながら、実際には学校にてをのばすことすらしていないことへの地区住民の苛立ちが、例えばニューヨーク・タイムズなどの記事に見られるような形で表面化されはじめていることを考えれば、その対策は急がれているのであり、その意味でいま事務局の設置同様に必要なのはこれも以前から訴え続けていることではあるが、初等部からのて全日制の日本人学校の設立ではないかと思う。ニューヨーク近郊では現在日本人教育審議会が運営する学校が一校だけ存在するが、この数は多様化する親のニーズに沿うためにも、地区住民、学校関係者に対して日本政府や企業がその責任ある姿勢を示すためにも、あまりに少なすぎると言えないだろうか。
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