Scarsdale
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平和運動に水さす反ユダヤ本の流行  (論座, Nov.6, 1995)

ニューヨーク郊外の住宅地、スカースデールでは、去る6月17日、公立図書館で、広島へ送るための千羽鶴作りが行われた。広島、長崎の悲劇を再び人類に繰り返させてはならないと、ここ10数年来、毎年8月6日に町の中心部にあるチェイス公園で「ノー モア ヒロシマ」などと書かれたプラカードを掲げて無言の意思表示を続けて来たスカースデール平和運動団体が、原爆投下50周年を記念して企画したものだ。当日は日米の住民が一緒に「さだ子と千羽鶴」のアニメを見た後、お互いに鶴の折り方を教えたり学んだりしながら、交流を深めると同時にあらためて原爆について考える時間を持ったのだった。出来上がった千羽鶴は、広島放送を通して、広島に送られ、8月6日にスカースデール住民からのメッセージと共にさだ子像のもとに届けられることになっている。

日本には、スミソニアン博物館が五月に開催を予定していた「特別展」が中止されることになったことなどから、原爆投下を正当化する見方が根強いとしてアメリカに批判的な声が多いと聞くが、アメリカ人と結婚して25年来ニューヨークに居住し、前述のような草の根レベルの交流に積極的に参加している者としては、その批判は必ずしもあたっていないという思いが強い。私の周囲を見渡すだけでも、その理由が何であったにせよ、原爆は使うべきではなかったと考えている人たちは決して少なくないからである。それが、マスコミなどで伝えられる公の発言となると、「戦争終結を早めた」として、正当化され、それをもってよしとする雰囲気がアメリカにあるのは、なぜか。唯一の被爆国として、原爆の悲惨さを世界に伝えていくべき日本人の声が、多くの人々の努力にかかわらず、それが十分には届いていないと思われるのは、なぜか。その理由は、他にも幾つかはあると思われるが、私にはここ数年、日本で夥しく出版され続けている反ユダヤ本が海外にもたらしている影響も多分にその要素を占めているように懸念されるので、それについて述べてみたい。

反ユダヤ本の最近の例としては、「ガス室否定説」を掲載して廃刊においこまれた文芸春秋社の月刊誌、「マルコポーロ」があるが、よく売れるからと言うだけの理由で一流の出版社までが、無責任な出版物を扱い、読者もおもしろそうだからとそうしたものを無節操に買ってしまうと言う現実が、自分たちを誤解させていることを日本人はもっと真剣に考えるべきであると思う。ホロコースト研究の第一人者で、エモリー大学の教授である、デボラ・リプスタッド女史は、その著書、「ホロコーストを否定する」の中で、「ヒットラーにはユダヤ人を抹殺する意図などなかった、ガス室は連合軍のでっちあげ」とする欧米のリビジョニスト(歴史修正者)たちの説が日本で受け入れられやすいのは、「ドイツの同盟国としてアジア諸国で自らがおかした過ちをなかったことにしたい人達にとって都合の話しだから」であるとして過去の過ちを清算していない日本人のありかたに関連づけている。女史はまた、「ユダヤ陰謀説」に人気があるのは、かつてのドイツが全ての社会悪をユダヤ人のせいにしたように、自分たちで解決しなければならない問題を他者に押し付けたいから」と、指摘している。こうした指摘は、日本での反ユダヤの本の売れ行きが問題にされるたびに、ニューヨーク・タイムズなどのアメリカの新聞でもなされており、私は日本に対するこうした見方が、原爆の悲惨さに対する真剣な訴えさえ、「自分たちが他者に与えた被害には目を閉じながら、自らの被害だけを声高に叫ぶ」ものとして、真に伝えたい声を届きにくくしている面があるように懸念する。原爆投下は、どのような理由であれ、してはならないことだったし、これからも決してしてはならないと言う訴えが、アメリカで抵抗なく、より多くの人に信じられるようになるためには、少なくとも日本を代表するような出版社は、無責任な出版物で日本人が誤解されないよう配慮するべきであり、読者もまた他民族を誹謗するような出版物に対しては断固そうしたものを買わないと言う強い姿勢を示すことが必要であると思う。同時にまた、自分たちの受けた被害だけでなく、他者に与えた被害に対しても謙虚に受け止め、ホローコーストのような歴史の事実には感受性を持って対処する姿勢が強く求められているように思う。そうすれば、今回スカースデールで行われた、千羽鶴を通した平和のメッセージのような試みが、いつかアメリカの至る所で抵抗なく繰り広げられるようになる日が来るのも夢ではないと言う気がする。



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