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ビレッジのなりたち
アメリカの行政区分は、地方自治法の規定で、主に人口を基準に「市町村」が作られましたので、その感覚で村と言うと、
人口の少ない田舎を連想しがちですが、アメリカの町や村は地域住民が制定した自治憲章を州議会州政府に申請し、その承認を得て創設されますので必ずしも人口に
関係がありません。スカースデール
はたまたまその境界線がニューヨーク州が公共サービスを実施するための代理機関として設置しているTown(町)と一致するため、村であると同時に町とも呼ばれ
ています。住民の生活に密接な一般事務については、「村」としてのスカースデールが、選挙事務や各種の登録など、州やカウンティからの委託事務については「町」としてのスカースデールが対応していると言うわけです。
スカースデール学区と同様、教育水準の高さで知られている隣町のエッジモンド学区(シーリープレースとグリーンベール小学校を含む地域)は、郵便局管轄では スカースデールですので、新聞などでよくスカースデールの学校として紹介されることがありますが、地方自治体の管轄はグリーンバーグに属しており、実際にはスカースデール学区 ではありません。このようにアメリカでは住民が制定した地域と州が設置している代理機関としての境界線が異なり、また郵便局の管轄も独自の方法で決められていることが多いので、 例えば特定学区にお子様を通学させたいと思って居られる方は、その住所が希望している学区に入っているかどうか、住まいを決定される前に自治体の役所や教育委員会にその旨を確かめられるとよいでしょう。
「スカースデール」という名称は、ジョン・リッチベルが1660年代にシワノイ・インデアンから購入した土地を英国人商人カレブ・ヒースコートが譲り受け、1702年に正式に
英国王室の所有地にした時につきました。ヒースコートがこの地域を生まれ故郷の英国ダービーシェアーにある、「ザ・ハンドレッド・オブ・スカースデール」からとって
「スカースデール」と命名したからです。(因みに1701年というのは、日本では赤穂事件があった年です。)
「スカース」は、サクソン語で「ごつごつした岩」、「デール」は「谷」と意味で、「ハンドレッド」は、サクソン開拓地に自由市民100家族が移住したことをあらわして
います。スカースデールの人口は、1712年の調査では、12名、うち7人は奴隷であったと記録されています。
独立戦争当時は英国軍が一時ママロネック・ロードにある農家を司令部にしたこともあり、米英双方の戦いの中で被害も大きかったようです。アメリカが独立したあと
スカースデールは自治体として動き始めます。
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