Scarsdale
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ウィーン(Vienna)

オーストリアの首都、ウィーンは、西ヨーロッパと東ヨーロッパの主要なルートの岐路に立つ街として早くから大陸の中心地として栄えました。市全体は大きく4つに分かれ、1番から23の番号で区切られています。中心にあるのが皇帝ヨーゼフ1世が中世の城壁に代えて建設させた環状道路であるリンクシュトラーセに囲まれた一区です。 華麗なブティック、高級ホテル、ブルク劇場、国立オペラ、そのほか歴史的な名所のほとんどが、この1区「インネレ・シュタット」に集中しています。その中をケルトナー通りが貫き、その両端に国立オペラ劇場とシュテファン寺院のあるシュテファンプラッツァ(広場)が控えています。

国立オペラ劇場,聖ステファン大聖堂周辺  (Area around State Opera House and St.Stephen'Cathedral)

ウィーンの街頭でコンサートのチケットを売る人

ウィーンでは毎日街のどこかでコンサートが開かれています。

国立オペラ劇場

古くは宮廷オペラ劇場とも言われ、世界的にも最も重要な劇場のひとつ。2002年から小澤征爾さんが音楽監督を務めています。

ドナウの噴水

アルベルティーナ美術館の前の噴水。1869年に建てられました。

ドナーの噴水(神の摂理の噴水)

1739年にドナーによって建てられた噴水。マリア・テレサ女帝の命でオリジナルの溶解鉛のヌード像が取り壊され、現在のブロンズ像になりました。

「アンケルア」の時計

アンケルア保険会社の建物(10番地)と11番の家の間にある時計。毎日正午時計の中から音楽のリズムにあわせて人形のパレードが現れます。

新婚の噴水

ウィーンで最も古い広場、ホーへル・マークト通りにある新婚の噴水(ヨゼフの噴水)。聖ヨゼフと聖母マリアの婚約を表しているとか。

聖ステファン大聖堂

ウィーンの街の中心に位置する大聖堂。シュテファン寺院。12世紀に小さな教会が建てられたのが始まり。14世紀にハプスブルク家のルドルフ4世によってゴシック様式に建て替えられました。

聖ステファン大聖堂内部

100メートルの奥行きで12の柱に支えられた三つの部分からなっていてその壮厳さに感嘆します。



ホーフブルク旧王宮周辺 (Hofburg Royal Palace)

ハプスブルクが滅亡する1918年まで歴代ハプスブルクの皇帝の居城として拡張し続けた王宮は、24万平方キロという広大な敷地を誇ります。 1220年に骨格ができたスイス宮が最も古く15世紀から18世紀までは旧王宮、19世紀から20世紀初めには新王宮が建設されました。

ミヒャエル門の前のローマ遺跡

門の近くでローマ時代の遺跡が発掘されています。ローマ人はケルト人を追い出して、現在のウィーンを紀元前後500年にわたり支配したとか

聖ミヒャエル宮殿の門

スイスの門

1538年から52年にかけて皇帝フェルディナンド一世の時代に建てられました。この門を通るとスイス人の中庭、ウィーン少年合唱隊で有名な宮殿礼拝堂に着きます。

英雄広場に立つカール大公騎馬像。

カール大公はナポレオン侵入に抵抗した中心的人物です。

英雄広場から見た市役所

新王宮

リンク整備の際、1881年から第1次世界大戦にかけて建設された建物。正面にはオーストリアをトルコから守った英雄オイゲン公騎馬像が立っています。

宮殿中庭とオーストリア皇帝フランツ2世の彫像

宮廷専用厩舎から出る馬

厩舎は1558年、大公マクシミリアン2世の宮殿として着工されました。現在はスペイン式馬術学校として使われています。



ウィーン2(Vienna 2)




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