Scarsdale
Image

杉原幸子さんを偲んで      ニューヨーク週間生活2008年10月号

書籍「6千人の命のビザ」去る十月八日、杉原幸子さんが心筋梗塞のため九十四歳で亡くなられた。幸子さんは第二次世界大戦中、リトアニア在領事として日本行きヴィザを発行し、多数のユダヤ人をホロコーストから救った杉原千畝領事夫人。領事は千九百八十六年に死去されているが、ご本人は助けられたユダヤ人の招きでいろいろな国に出かけて友好につとめたり、九十七年以降はご子息の弘樹氏が創設された杉原財団の名誉会長としても領事の業績を語り継ぐことに尽力されてきたようである。

私は、十八年前、幸子さんを鎌倉の自宅にお訪ねしたことがある。当時領事の名前は日本では殆ど無名だったが、サイモン・ヴィーゼンタール・センターと言う所でたまたまその勇敢な行動を知って以来、どうしても感動を直接本人に伝えたいという思いに駆られていた。しかし、そのうちご本人が亡くなられたのでせめて奥様にだけでもと帰国した際の慌ただしい時間をぬってお目にかからせていただいたのだった。幸子さんは一面識もない私を暖かく迎え、領事が政府の命令に背くことを決断された当時の様子などを詳しく話してくださった。その口調は静かでたんたんとしたものであったが、一見華奢なその外見の中に「真の勇者」を陰でしっかりと支えた人の紛れもない存在を感じて深く感動したしたことを覚えている。幸子さんは帰り際ちょうど発行されたばかりだという、ご自分の著書「六千人の命のヴィザ」という本を下さった。


杉原記念碑この夏、バルト三国を旅行し、一週間ほどリトアニアに滞在した。この国には、杉原領事の業績を称える記念碑や美術館が少なくない。カウナスの旧日本領事館も当時のままの状態でミュージアムとして保存されている。幸子さんは何度かこの国を訪問されてよい印象を残しておられるようで、私たちを案内してくれたユダヤ系のガイドは私が日本人だと分かると開口一番誇らしげに「僕はユキコを知ってるんだよ」と言った。幸子さんは領事としての夫を陰で支えられただけでなくご自身も立派な民間外交官であったようだ。(写真はリトアニアに建てられている杉原記念碑)


Top  その他のユダヤ関係記事





Image
Image
image