Scarsdale
Image
ホロコーストと子供


ホロコーストを生き延びたあるユダヤ人少女の物語

原題:Hide and Seek
原作者:Theresa Cahn-Tober  翻訳者:キャッツ邦子
原作発行所:University of New Mexico Press
日本語訳発行所:本の風景社



「はじめに」より
    

書籍「死のかくれんぼう」お名前は何とおっしゃるんですか?」先日始めて会った人にこう聞かれ私は一瞬考え込んだ。「別に落とし穴のあるような質問じゃありませんよ。」と言って男性は笑い、私も気が変だと思われないように一緒になって笑った。でもこの質問が私にとって人生を落とし穴にいれてしまうような意味をもっていた一時期があるのだ。それはずっと後になってからも私の気持ちをかき乱し自分を取り戻すのに深呼吸を必要としたことが再三あった。お名前は?出身地は?宗教は?ご両親は?お幾つ?三才の子供でさえすらすぐ返事ができるようなこうした簡単な質問が子供の頃の私には生死にかかわる複雑な暗号でもあった。自分を証明するものがしょちゅう変わったからである。私は一瞬の知らせで新しい名前や年齢、宗教、家族の名前などを身につけることができた。今の自分から次の自分にすばやく変わることは私にとってホロコーストから隠れて生きのびるための手段だった。子供の頃の私にいつも確実だったことは自分が隠れていることだった。押入れの後、屋根裏、地下室、修道院に隠れた。私の好きなマリシアや尼僧たち、公爵夫人、それから農家の人たちや見知らぬ人たちと隠れた。ナチスやポーランド人から、時にはユダヤ人からさえ、そして爆撃から隠れた。自分を隠し、信仰、感情を隠し、沈黙した魂の中で私はいつも自分が誰であるかを探していた。

「死のかくれんぼう」のゲームでヒットラーに鎖を解かれた悪魔は隠れ家に潜んでいる子供たちのほとんどを探しだして捕らえた。私はその中で逃げることのできた数少ない子供の一人だった。私をかくまい、やさしく私を抱擁し、結果的に自分たちも隠れなければならなくなった人たちへの感謝を私は忘れない。たくさんのポーランド人が私を助けてくれた。彼らのすべてに私は感謝する。特にこれからお話するマリシアによって示された勇気と思いやりはいまだに私を畏敬の念で一杯にする。

他の多くのホロコースト生存者のように私はよく「どうして私が?」と自問する。あれほどたくさんの人が死んでしまったのにどうして私は生き残ったのか?そして私はそれに対してどんな形で答えたらよいのか?

「訳者あとがき」より

私が「死のかくれんぼう」の作者、テレサ・カーン・トーバさんと知り合ったのはサラローレンス大学の修士課程に在籍している時だった。二人ともライティングを専攻していて20代から30代の生徒が多かったクラスでは年齢が比較的近かったことや彼女の方が6才お姉さんだったが彼女の気さくな人柄もあってすぐ親しくなった。

ニューヨークで35年、ナバホ・インディアンの特別保留区で5年臨床心理学者として働いたあと再び大学に戻ってきたと言うテレサさんに博士号まであるあなたが何故と聞くと、若い頃は自分の生活のために専門的な道に進む必要があったが引退した今、昔からの夢だった作家になりたいからだと言った。コーネル大学の学生だったとき、ウラジミール・ナバコフの講義を受けたことがありそれ以来、密かに作家にあこがれていたとも言った。彼女はサラローレンスに来る前にすでに「死のかくれんぼう」を出版していて、読後深い感銘を受けた私が「こんなにすばらしいものが書けるあなたが何故今さらライティングの学校に?」とまた聞くと、書けば書くほどあらためて勉強する必要があることを痛感したからだと言った。「死のかくれんぼう」の「はじめに」で書いているように、子供としてホロコーストを生き延びた自分の義務は虐待や悩みから子供を救うことだとして一生の仕事に臨床心理学者という職業を選んだ。退職したあとは書くことでその義務を果たし続けたかったようである。彼女がクラスで発表する作品にはナバホ・インデアン特別保留区の子供たちに関するものが多かった。綿密なリサーチの上にたった歴史的な背景を基にインデアンの人たちの現状が暖かい目で描かれたそれらの作品はそのどれからも子供たちの叫びが伝わってくるようで私は心をうたれた。彼女はいずれはそれらの作品もまとめて一冊の本にしたいと言っていたが不幸にもその願いは果たされなかった。志半ばで乳がんで亡くなってしまったからである。

がんが再発してしばらくクラスに出席できないと言う知らせをもらってから亡くなるまでにその日数があまりに短かったので、私には今も彼女が逝ってしまったことが信じられない。600万以上の人が死んでしまったホロコーストを生き延びた人が、そしてあれほどの情熱で日のあたらない子供たちのことを書き続けた人が、そんなに簡単にいなくなっていいものかという思いは今も私の中に疼いている。「死のかくれんぼう」の日本語への翻訳は彼女との生前の約束だった。彼女が子供の痛みを多くの人に分かってもらいたいと願ったように、私も日本の人に統計としてではなく、生身の人、特に子供の目を通したホローコストを知ってもらいたいと思ったからだった。

ホロコーストでナチスに殺戮された600万のユダヤ人のうち、その4分の1にあたる150万は子供だったと言われる。テレサさんと彼女の両親は、様々な要素の重なりでいつも危機一髪の所で死を免れているが、殺された150万の子供たちは全て彼女と同じようにささいなことに一喜一憂して生活をしていた普通の子供たちだった。大人もそうだが子供たちにはもちろん殺されなければならない理由など何もなかった。テレサさんが「死のかくれんぼう」で訴えたかった人種偏見のもたらす恐ろしさは、誰もが真摯に受け止めなければならないのではないか私は思う。


「死のかくれんぼう」は下記のようなインターネット書店でお求めになれます。
訳者から直接入手することもできます。ご希望の場合は郵便箱へご一報ください。


Home  その他のユダヤ関係記事



Image
Image
image