Scarsdale
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パスオーバー(過ぎ越しの祭り)


Passoverパスオーバー(過ぎ越しの祭り)は、ユダヤ暦のニッサンの月(西洋暦では3月から4月に相当)の15日から8日間にわたって祝われるユダヤ教の祭日です。ヘブライ語では「ペサハ」と呼ばれます。今年(2007年)は4月 2日の日没から始まります。



これは、ユダヤ教の数ある祭日の中で最も人気のある祭日で、普段はどの教会にも属せずユダヤ教の習慣とはあまり関係なく過ごしている人でも「セーダ」〈ヘブライ語では「セデル」、日本語では順序といった意味です。〉と呼ばれる最初の夜の食事には大半が出席すると言われています。〈1990年に行われた全米ユダヤ人の調査ではアメリカのユダヤ人の80%以上が何らかの形でこの祭日を祝うとか。〉我が家は今年、子供たちも一緒に同じ教会のメンバーのお宅に呼ばれていますのでそこの家族の皆さんと一緒にお祝いをすることになっています。

パスオーバーは、エジプトで奴隷だったユダヤ人がモーゼに導かれてエジプトを脱出し、自由の民になったことを祝う祭りです。最初の夜と二日目の夜に行う「セーダ」の夕食は、「ハガダ」と言う本の順序にそって式が進められていきます。「ハガダ」はヘブライ語で「語る」と言う意味で、全部ヘブライ語で書かれたものもあればほとんどは英語というようにいろいろな種類があり、それぞれの家庭で違ったものを使っています。ハガダの部分〈出エジプト記〉の旧約聖書の物語は、ずっと以前「十戒」と言う映画になったことがありますので、〈チャールトン・ヘルトンがモーゼでユル・ブリンナーがエジプト王ラムシスでした。〉或いはリバイバルなどで覚えておいでになるかもしれません。

ユダヤの神と契約を結んだアブラハムとその妻サラの間にイサックが生まれ、イサックとその妻レベッカの間にヤコブとイサオ、ヤコブの二人の妻(ラヘルとレア)の間に12人の息子が生まれます。このうちの一人ヨセフをヤコブが溺愛したため兄弟の嫉妬を買ったヨセフは砂漠の隊商に売られ、のちにエジプトで王宮に召され政府の高官となります。後年、飢饉のため食物を求めてエジプトに行った兄弟たちはそこでヨセフと再会、彼の招きで一族がエジプトに移住します。

それから何百年かたち、ヨセフを知らない王の代になってユダヤ人はエジプトで奴隷として扱われるようになります。その上彼らの数が増えすぎるのを恐れたエジプト王はある時ユダヤ人から生まれた長子はすべてナイル川で溺死させるよう命じます。その頃モーゼを生んだ彼の母親は息子を殺させまいと小さな揺りかごに幼子を入れてナイル川に流します。やがて国王の娘に救われたモーゼはエジプトの王子として成長します。しかしある時ユダヤ人の迫害を目にし、エジプト人を殺害、そこで国王にそのことを知られることを恐れた彼はサイナイ半島に逃亡、そこで結婚し羊飼いとして暮らします。

ある日、ホレブ山に放牧に行ったモーゼは、木が燃えるのを目にします。そして、「エジプトで苦役に喘ぐユダヤの民を救いだす」ようにと命ずる神の声を聞きます。そこでエジプトに戻ったモーゼは兄のアロンとエジプト王(代が変わって新しい王になっています。)に会いユダヤの民を自由にするよう訴えます。しかし、王は彼らの訴えに全く耳を貸しません。ユダヤの神はそこでモーゼを通じてエジプト王が承諾するまで例えば疫病とか、イナゴの大群の襲来など十の災いを臨ませます。その十番目の災いが、戸口に印のないエジプトの家の全ての長子を殺すというもので、ユダヤの民は印をつけてその災厄を避けます。パスオーバー〈過ぎ越し〉という祭りの名前はここからきています。

エジプト王はついにユダヤ人がエジプトを出ることを許可します。しかし、彼らが出てしまったあと突然また気を変えた彼は大軍を率いてモーゼたちを追いかけます。紅海まで逃げてきたきた奴隷たちは、海を前に絶対絶命の危機に陥ってしまうのですが、突然その海が割れ眼前に道が広がります。そして彼らはその道を歩いて対岸に着きます。追っかけてきたエジプト軍がその道に入ると海はたちまちもとに戻り彼らは紅海の中で溺死してしまいます。こうして奴隷だったユダヤの人々は神の助けでエジプトを脱出し自由を手にするのです。

「セーダ」では、この物語を「ハガダ」を読みながら語り伝えていくわけです。食卓には、定められた通りの順序や方法で飲んだり食べたりするワインやマッツァ〈種なしパン〉などが用意され、「セーダ・プレート」と呼ばれる特別の盆には、奴隷としての苦い経験を思い出させる苦菜〈西洋わさび〉、煉瓦作りの毎日だった当時を偲ぶ「ハローセス」〈りんごを刻んで甘いぶどう酒やシナモン、ナッツなどと混ぜたもの〉,塩水に浸して苦しみの涙を象徴するパセリ、かって神殿で捧げられていたいけにえの肉を代償する羊のすねの骨、春の訪れを象徴する焼いた卵などがおかれます。食卓の様子は、ユダヤ人だったイエスキリストが弟子たちと一緒にパスオーバーの「セーダ」を行っているところを描いたものと言われているレオナルド・ダビンチの「最後の晩餐」の絵からある程度想像できるかもしれません。

「セーダ」の儀式は通常前述したようにパスオーバーの最初の夜と二日目の夜に行われます。〈最初の夜は父親の家族と、次の夜は母親の家族というふうに分けている人も多いようです。一晩だけしかしない人たちも少なくありません。〉ユダヤ教の祭日には他にも新年などのようの2番同じお祝いをすることがありますが、これはディアスポラとして離散したユダヤ人がどこにいても聖書に書かれた日とずれが生じないようにという確認の措置だった習慣が今も続いているからのようです。

式は先ず母親がローソクに灯を灯しお祈りを唱える所から始まります。〈我が家で「セーダ」を行う時はこれは私の仕事です。〉それから頭の上に「ヤマカ」と呼ばれる小さな帽子をかぶった父親が、式のはじめを告げ、そのリードに従って参加者全ての人がヘブライ語なり、アメリカの場合だと英語で「ハガダ」を読み、そこに書かれている、例えば一杯目のワインを口にする、などの指示に従っていきます。パスオーバーを祝う理由などについては、参加者の中の一番年少者〈通常一番若い子供〉が、ヘブライ語で朗誦しながら、「どうして今晩はいつものと違うの」に始まる4つの質問に父親が答えるという形で説明されていきます。そこでかって自分たちの祖先が奴隷として苦しんでいたこと、神の恵みによって自由の身になったこと、自由がどんなにすばらしいものであるかが子供たちに伝えていく訳です。椅子に横すわりして自由の喜びを満喫するための枕やクッションも用意します。

パスオーバーは別名「種なしパンの祭り」とも呼ばれます。この名前は祭りの一週間,イースト菌を使わないマッツァと呼ばれる種なしパンを食べるところからきています。このパンを食べるのは、ユダヤ人がエジプトを脱出した時、時間がなくて普通のパンを食べることが出来なかったことに由来しています。

ユダヤ人の家庭ではパスオーバーの期間中家にパン類を置いておくことは出来ないのでお祭りの前には誰かに差し上げるか寄付するかをして処分し、どこかに残っていないか確認のため家中を掃除します。これは新年を迎えるために日本で年末に行う大掃除と似た所があります。パン類はどんどん膨らむ性質を持っているところから高慢や偽善の象徴とされており、この大掃除はこうした内面の「悪」を掃除をする意味もあると言われています。

ユダヤ人の夫と結婚して以来パスオーバーの「セーダ」に呼ばれたり、我が家に人を呼んだり、祭りの間中種なしパンを食べたりする習慣に従うのは今年で34年目になりますが、3000年も前に起こったこと〈イエスキリストが生まれる1000年も前のことです〉を毎年絶やすことなく子供たちに伝えていくと言う伝統にいつも感動を覚えています。

また「セーダ」などで早くからみんなの前で読む機会を与えられるユダヤ人の子供たちのありようを見ていると、一般的にユダヤ人に文盲の人がいない理由がよく分かるような気もします。家族や友人が集まって家長を中心に(儀式を取り仕切る家長としての父親の役割はとても重要です)食事をするという機会だけではなく、自分たちの歴史を次の世代に語り次ぎ、虐げられたその苦しみを知ることで他者に対する感受性を養っていくなど様々な意味があり、とても興味深いものがあります。

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