日本化されるスカースデール: ニューヨークマガジンが取材したスカースデールの日本人

 

ニューヨーク・マガジン」と言うニューヨークの週刊誌が、1991年、4月29号日号で特集した「ジャパナイング  オブ スカースデール」と言う記事は、スカースデール住民に議論を呼び起こしました。記事の内容が、「スカースデールの町が日本人に乗っ取られようとしている!」と言うセンセーショナルなものだったからです。記事がでたあとしばらくはどこへ行っても、「あの記事、読んだ?」の声が住民の間でひとしきりだったものです。

 


 

 

記事はまず、スカースデール高校のカフェテリアで群れをなしている日本人学生の描写からはじまり、次いで学校図書館の机の上にボールペンで書かれた落書きが紹介されます。落書は、こんなふうに展開します。
 「アメリカはくだらない国だ!」
 「アメリカが嫌いならとっとと出ていけ!」
 「出来るものなら....」
 「何だこの英語は!アメリカにいるんならもっと英語を勉強したらどうだ!」
 「大きなお世話だ。英語なんかくそくらえだ!」
 「日本人は嫌いだ。地獄におちろ、グック!」(「グック」と言うのは、日本人に対する「ジャップ」と同じように韓国人に対する蔑称です。)

次に「スカースデールの人たちはみんなお金持ちで、意地悪が多く、日本人に対して無関心。」と言う日本人の女子高生が登場します。彼女は現在12年生で、滞米4年目。バスケットのチームに入ったりして、アメリカ人の友達を作ろうと努力しているが、今だに成功していない。渡米 10年と言う別の女子高生は、「日本人が少なかった頃は珍しくてとても大事にされたわ。でも今はダメ。擦れ違っただけでもイヤーな顔をする人が多いの。」と訴えます。彼女は英語が流暢だからと言うので日本人からは、「何さ、アメリカ人気取りで」と陰口を叩かれ、知らないアメリカ人からは英語の話せない日本人と思われて無視されたり、時に聞こよがしに「ここはアメリカなんだから英語を使ってもらいたいもんだわね。」とか、「日本人が近付いてくるのは、匂いで分かるわ。」などと言っているのを耳にすると言います。
 
高校のある社会科の先生は、日本人に対するネガティブな声を表面だって聞くことはないとしながら、父兄から、「うちの子供は、オーケストラに入る予定でいたんだけれど、『あの人達』だけで占められているのが嫌でやめました。」とか、「『あの人達』って夜遅くまで勉強していて、学校の行事にはほとんど参加しないのに成績だけはすごくいいんですってね。」などと言われたりすることがあると言っています。 10年生のあるアメリカ人男子高校生は、自分はいい成績の生徒ではないと弁解しながら、「アジア人が嫌いって訳じゃないけどさ。とにかく多いんだよね。それにあいつらときたら、教室では何も分からないような顔をして黙って座っているくせに、廊下に出ると英語で話すんだよ。それで成績となると俺は教室で喋り過ぎるというのでD、あいつらはAプラスなんだぜ。」と日本人を特集しているのにアジア人全体の手厳しい評価も登場します。
 
「スカースデールの日本人は、1960年代のユダヤ人みたいなもんだ。」と言うのは、1940年代からスカースデールに住んでいると言う、あるユダヤ系のアメリカ人です。彼によればもともとはプロテスタント系が多かったこの町が教育水準の高さで目立ちはじめたのはユダヤ系の住民が増えた頃からで、妬みもあって当時はユダヤ人がさんざん影で悪くいわれたのだと言うのです。
 
自らもスカースデール高校を1979年に卒業したと言う記者のハンデルマンさんは、当時と変わっていないのは閑静な住宅街、手入れのいきとどいた芝生、すばらしい町の設備などの外見だけで、実際には町はほとんど日本人に占領されていて、住民はそれに苛々した感情をもっていると続けます。その苛々は、黒人を殴り殺して問題になったクィーンズの白人の町、ベンソンハーストほどではないまでも、高い教育水準と知的なイメージが売り物だったスカースデールにしては驚くほど激しいものだと彼は言います。例えば、駅前の本屋のおばさんは、日本人をどう思うかと言う彼の問いに対して、「あの人達ってアメリカの文化なんかにはまったく興味がないようよ。それらしき本を買って行った人なんて一人もいないわ。彼らが買うものと言えば、ピーターラビットの本くらいかしら。どちらにしてもあまり歓迎し
たいお客ではないわね。」と冷ややかに答えるのです。(この人は、町でも評判の誰に対しても口の悪い人なのですが。)

コーヒーショップでランチを食べていたあるアメリカ人の母親は、「聞くところによると子供の高校は今や65%が日本人だそうね。我が家の近くでも、「丸い目」(吊り上がった目が中国人で、下がった目が日本人、丸いのは白人と言う意味だそうです。)で残っているのは、私たちだけじゃないかしら」と、今にも逃げ出さなくてはと言わんばかりの口ぶりです。

日本人の多い小学校の5年生を担当しているある先生は、「日本人の子供たちは、日本語の宿題をこなすのにも忙しいらしくて授業中によく居眠りするんですよ。それで英語の宿題を少なくしましょうと親に提案すると、彼らは血相をかえて『オー・ノー!』と反対するんです。」と、子供の勉強に厳しい日本人の親のありかたを疑問視しています。高校で生徒の精神面での指導にあたっている先生は、「日本人の親は、成績がよくないと子供を責めることが多いですね。しかし、いい時には誉めないで悪いときだけ叱るというやり方は、子供の自信をなくさせることにつながりかねません。しかも高校生にもなっている子供たちにデイトどころか夜間の外出さえ許さない。その結果、極度の鬱病に陥ったり、ドラッグに頼ったりする者も出てくるのですが、親は世間体を気にしてなかなか助けを求めようとしない。結局は日本人の精神科の先生にお願いしたりするんですが、日本人の子供たちが抱えている精神面のストレスはいつ爆発するか分からない火山のようなものですよ。」と心配そうです。

村役場のマネージャーは、「気前のいい日本人が増えることは、家の値段が上がって悪いことじゃないよ。」と言いながら、その一方で、「この町の行政はすべて住民の意思で動いているからね、新しい人達がこの町に溶け込むには町のミーティングに出席するのが一番なんだ。しかし、日本人には今だかって一人も会ったことがないよ。ミーティングは誰でも参加できるように、夜開かれるというのにね。自分の住んでいる所なのに、町がどうしてなりたっているかにも興味がないなんて、残念なことですな。」と皮肉っぽく答えています。
 
これに対して日本人の方と言えば、夫は会社の仕事が忙しいか、接待ゴルフなどで週末もほとんど家にいず、近所の人たちや学校との接触を迫られる妻たちは、英語が出来ないか自信がなくて引っ込みがち。買い物も理髪も年々便利になる日本の店で済ませ、付き合いも日本人だけと言うことが多いので、住民に冷たい印象を与える結果になっていると彼は言います。スカースデールに住むある日本人の銀行重役は、「スカースデールはすばらしい所ですよ。環境もいいし、住民の教育レベルも高い。人々もやさしいし、子供達にはESLのような、外国人のための英語指導プログラムもそろっている。日本はこれほど外国人に対して親切ではありませんよ。」と自分の住む町を手放しで称えていますが、奥さんの感想は少し違うようです。彼女はこんなふうに言っています。「こちらの方々は一見確かにフレンドリーなんだけれど、実際に家にお呼びしたりすると、『ソリー、アイアム ビジー』などと体よく断られてしまいます。昼間はお仕事でお留守の方も多いのでなかなか近所の人ともお付き合いが出来ません。もっとも、いらしたにしても私たちみたいな短期駐在の者には関心がないのかも知れませんけれど。時々、会ったばかりの人に『日本人は高価な絵とかロックフェラー・センターみたいなものばかり買うけど、なぜ湾岸戦争にもっと貢献しないんだ』などと言われたりすることはあります。笑顔で言われるんですけれど、真意がつかみかねてとても心配になります。」

首を傾げたくなるオーバーな表現

私も長くスカースデールに住んでいること、たまたま、記者が取材にきた学校で働いていたことなどからインタビューを受けました。その際、「日本人が多いことについてどうしたらよいと思うか」と聞かれたことについて、「日本企業や政府は、海外の正確な情報を赴任前に家族にも知らしめ、適切な準備期間を与えるべきだと思う。それについては私自身も新聞などへの投稿を通して訴えている」と答えた所、実際には、私の意見として「新聞などへの投稿を通して日本人家族はスカースデールにこないように日本企業に訴えている」となっていました。

記事にはこの他にも首を傾げるようなオーバーな表現も少なくなく、記者のアジア人に対する認識のなさ(あるいは偏見)をあらわしていると思われる所もありました。例えば、1万7千人のスカースデール住民の13、7%、学校の児童生徒の19、3%がアジア系であるとして、そのほとんどを日本人としていましたが、実際にはその数の半分近くは中国系や韓国系のアメリカ人でした。(スカースデールにはこの当時、我が家の子供たちが通っていた学校のように、日本人の子供たちがクラスの 3分の1以上を占める小学校が学区に2校ありましたが、全体の住民の数からすれば日本人家族は5%弱(正確な数字はありませんでしたが)といった所でした。オーケストラで大半を占める「あの人達」や、アメリカ人の学生に妬まれるほど良い成績をあげる、「あいつら」もほとんどは日本人ではなかったのです。日本人の高校生でオーケストラに入る時間的余裕のある者は少ないし、日本からやって来て短い滞在期間にスカースデールのような教育水準の高い所でアメリカ人に妬まれる程成績を上げるのは、例外はあるにしても、実際には至難の技であるからです。

アメリカでは人口調査での人種の分けかたを、白人、アフリカン・アメリカン、アジア人、ネイティブ・アメリカン、ヒスパニックと言うように大雑把にしかしないので、日本人の数は正確には分からないと言う背景もありますが、記者に限らず、住民にもアジア系のほとんどは日本人であると思っている人達が少なくないようでした。

この記事を書いたハンデルマン記者は、スカースデール高校からハーバード大学へすすんだ人で、両親も町でよく名前を知られた人たちです。父親は腕利きの弁護士として、マハンッタンの法律事務所に勤務、記事が出た当時はスカースデール町議会の議員でもありました。その翌年から二年間は町長もつとめており、幾つものボランティア団体で活躍している奥さんとならんで、地方新聞などにもよくその名を連ねています。(私も同じボランティア組織でお互いに理事だったりする関係で時々お会いすることがあります。)ハンデルマン記者がスカースデールのような、いわゆる体面を重んじる町で、あらゆる人にインタビューが出来ただけでなく、めったに聞かれることのない住民の本音の部分をこれ程あからさまに取材出来たのは、彼自身のこうした背景も役に立ったのでしょう。(日本人と話しをしていると、「アメリカ人はいつも本音で話す」と思っている人が多いように思うのですが、実際には人種的、政治的配慮などがあって、外部の人に本音で話すことなど皆無に近いのではないかと思います。)しかし、自分たちの町をセンセーショナルに書いたのが、この町の名士の息子だったことは、町の知的なイメージが汚されたと言う以上に、住民に驚きを与えたようです。日本人にとってもこれ程あからさまに自分たちのことを言われたことはショックでしたが、それ以上問題だったのは、その後記事がしばらく日本人の間で一人歩きをしてしまったことでしょう。日米摩擦の起きている町として、「スカースデール現象」と言う言葉さえ生まれたものです。

記事に反論する

私はそれまでアメリカの学校だけでなく、日本語補習授業校でも父母会会長、連合会(ニューヨーク地区12の補習校父母会会長と教育管理委員会から成る組織)会長などPTAの仕事に携わり、そうした組織の活動を通して他の地区の方々と話をする機会も少なくありませんでしたので、日本人の急激な集中で起こっている問題を、アメリカで名前がよく知られているからと言って、「スカースデール」の問題とすることに非常な疑問を感じました。そこで、この記事のすぐあと、「ニューヨーク・マガジン」に対して、自分の意見が間違って引用されたことへの抗議と共に次のような投稿をしました。「スカースデール・インクアイアラー」と言う町の地方新聞にも同じ主旨の記事を掲載しました。(英文)

「ニューヨーク周辺の数ある日本人集中学区からスカースデールのように一定学区を選び出し、日本人の増加によって生じている様々な問題があたかもこの地区特有なものであるように取り扱うのは、地区に対してアンフェアであるだけでなく、問題の本質を逸脱させるものである。スカースデール学区に限っていえば、私は長年のPTAや地域活動、学校への勤務を通して学校や地域がいかに日本人の為に手をさしのばしてきたか、また日本人父兄が住民や学校関係者に対していかに感謝をし、のばされた手にこたえるべく最善の努力をし続けてきたかを、実際自分の目で見てきてよく知っている。こうした相互の努力によって実っている多くのすばらしい面が紹介されなかったことを甚だ遺憾に思う。しかし、記事は同時に、増加する一方の日本人児童生徒に対して真摯な姿勢で現状に取り組んでいるスカースデールのような学区をもってしても受け入れ側のなし得ること、日本人父兄の個人の力に限界があることを示唆しているように思われる。問題の本質は、家族をおくり出す側のありかたにその一環があることは明らかであり、状況改善に対する日本政府、企業の考察を切に望むものである。」

その後、ニューヨークの日系新聞、OCSに日本語で次のような投稿をしました。

「ニューヨーク・マガジン」と言うニューヨークの週刊誌が、4月29日号で「ジャパニング・オブ・スカースデール」というタイトルで、特集記事を発表した。目を通された方も多いのではないかと思う。記事は日本人の増加に対するスカースデール住民の反応や、日本人の声などをリポートしたものだが、タイトルから想像できるように、ネガティブな面が誇張されたセンセーショナルな内容となっていたため、住民の間に大きな物議を醸し出した。記事に対する反発の声は実際私も多く耳にしたが、地方新聞である「スカースデール・インクワイアラー」の編集室に電話をした人も多かったようだ。先週の「インクワイアラー」誌は、社説の中で様々な関係者の記事に対する意見を紹介し、その後、社の見解を発表している。それによれば、住民や学校関係者が記事を最もアンフェアであるとした点は、現状に対して建設的に努力をしている学校や地域の様々な活動がほとんど紹介されていず、高校生の一部や人種偏見的な発言を憚りもなく堂々と口にするような特殊な人をもってスカースデール住民の声としていることにあるようだった。

スカースデール現象 」

70名ほどの人にインタビューをし、学校にも足げく通って観察をしたリポーターが、なぜ多くのポジティブな面を無視してしまったのかについては、『ニューヨーク・マガジン』の編集方針に従わざるを得なかった」とする本人の言葉を紹介している。しかし、例えば学校が米企業の助成金を得て特別に施行している日本人生徒のための様々なプログラムさえ記事の中で触れていないのは、何としてもリポーターの片手落ちではなかったかとしている。社説はその一方で、例えネガティブな面が強調されているにしても、実際にそういう面があるのは否定できない事実であり、この記事がスカースデール住民に投げ掛けた問題提起の意義は大きいとし、これを機に日米双方の住民が一層の歩み寄りを続けることで改善をはかろうと結んでいる。

「ニューヨーク・マガジン」の記事が出てまもなく、ロサンゼルス在住の直木賞作家、米谷文子さんが、読売アメリカに「地元に溶け込まない日本人」として、記事を載せられたので、私はそれにも、次のような投稿をしました。

「7月19日号で掲載された米谷氏の「スカースデール現象」を興味深く拝読させていただいた。日本人はもっと異文化社会に溶け込む努力をするべきであるとされる氏の意見に賛成である。ただ氏が「ニューヨーク・マガジン」の記事をバランスのとれた良い記事とされているのには、議論の余地があるように思われるので、実際スカースデールに居住する者の立場からそれに対する考えを述べさせていただく。まず、「ジャパニング・オブ・スカースデール」の記事に対する私自身の感想としては、インタビューに応えて述べた自分の意見が不当に引用されたこともあり、あの後すぐ「ニューヨークマガジン」および地方新聞の「スカースデール ・インクアイアラー」に次の主旨の投稿をしたので紹介したい。(以下、前述の記事と同)

海外での教育のありかたに確たる指針を示さないまま、子供たちを現地の学校へ送り続ける日本側に対し、現状を認識し、地区の予算で教師のための定期的な日本研究会を開いたり、アメリカ企業の基金で日本人向けの様々なプログラムを施行するなど、その対処に真剣に取り組んでいるスカースデールのような学校区は明らかに対象をなすものである。しかるにそうした地区の努力や、それに応えるべくPTAの役員として、あるいはボランティアの一員として積極的に活躍している日本人父兄の活動を紹介せず、(インタビューをうけた日本人父兄のほとんどの意見はポジティブな面がカットされたものとなっている)問題をスカースデール地元民対日本人のあつれきといった形に絞ってしまったハンデルマン記者の記事は、そうした意味で日米双方の住民にとって、特に学校関係者にとって、とてもバランスのとれた記事とはいいがたいものだったのである。

とはいえ記事の伝える一面は誰にも否定できない事実である。では、それに対して今何が必要とされているのか。米谷氏の言われるように、確かに「スムーズにその社会に溶け込むには言葉も必要であるが、新参者も地元民も偏見を取り除き、理解しようとする努力と非常な忍耐力が大切」である。しかし、現実には前述したように力の及ばない面はあるにしても学区はいうに及ばず、出来るかぎりの努力をしている日本人父兄も決して少なくはないのである。その数にかかわらず、どの学区でもこの問題がそれほど表面化されるに至っていないのはお互いのそうした努力があるからだと私は思う。ただ、現地校のなしうることや日本人父兄の個人の力には限界があること、それぞれの努力が怒濤に押し流されてしまいそうなほど日本人側の入れ代わりが激しいという現状を考えれば、この問題がもはや「地元民対日本人」のあつれきとして当事者だけにその解決が委ねられるべき性質のものではないことは明らかである。赴任先に対する予備知識も、十分な準備期間も与えないまま自らの都合で家族を国外へ送り出す日本企業や政府に発想の転換が迫られているのであり、送り出す側が現状を正確に見極め、真剣にこの問題に取り組まない限 り、様々な弊害が今後も表面化していくのは避けられないのではないかと思う。」

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