第二次世界大戦前ポーランドには約300万人のユダヤ人がいてワルシャワには全市民の約3割を占めるユダヤ人が住んでいました。ところがポーランドを占領したナチスにより1940年以降各地にゲットーが作られ、ユダヤ人は強制的にそこへ移住させられてしまいます。その後各地のゲットーで銃殺、餓死、病死などがあいつぎ、ワルシャワだけでもおよそ10万人のユダヤ人がゲットーで死亡しました。1942年6月、ナチスによるファイナル・ソルーション(ユダヤ問題の最終解決)政策が決定されると、東部へ移住すると騙されてワルシャワでは市内にある「ウムシュラークプラッツ」という駅から毎日7000人ほどのユダヤ人が貨物列車でトレブリンカ絶滅収容所に送られていきます。(左の地図はゲットーが始まった頃と1942年後
に大幅に縮小された領域を示しています。)収容所の実態を知ったゲットーの住民は1943年4月、ナチスに対し激しい武器闘争を挑みますが、一ヶ月もたたずに鎮圧され、捕らえられた人たちは全員一挙に死の収容所へ送られました。その後ゲットーは解体され、ワルシャワで800年近く続いたユダヤ人コミュニティは完全にその姿を消してしまいます。
ワルシャワゲットーの様子は、幼児期自らもゲットーで暮らした体験をもつポーランド人のポランスキー監督が2002年に制作したThe Pianist (邦題は[戦場のピアニスト」)でもその片鱗を垣間見ることができます。映画では主人公のシュピルマンが家族とともにゲットーに移住させられる様子、足の悪い老人がベランダから車椅子ごと通路に投げ落とされたり、何でもないことで人々が射殺されたり、道路にごろごろと放置される死体の前を無表情で歩く人たちの様子、死が待つだけとも知らず収容所へ送られる人々の様子などが淡々と描かれています。
私がこのほど翻訳した、友人でホロコースト生存者のテレサ・カーン・トーバさんの著書、「死のかくれんぼう」にも彼女がゲットーを訪問した時の様子が書かれています。彼女はカトリック教徒のポーランド人に匿われ、その家の「姪」として プシェミソルのゲットーに住む叔母さん一家を訪れるのですが、ユダヤ人は周囲を壁に囲まれて一歩も外へ出ることが許されなかったゲットーも非ユダヤ人の出入りは比較的自由だったようです。
第2次大戦中に破壊されず残り、現在もワルシャワで礼拝に使用されている唯一のシナゴーグです。 中央駅の近くにあります。建物が破壊されずに残ったのはナチスがここを馬小屋や物置として使ったからだとか。案内して下さった方の話やシナゴーグの案内書によると、素性を隠したり、密かに匿われたりしてホロコーストを生き延びた人たちはいて、ロシアへ送られ戦後帰ってきた人たちとまたワルシャワに新たなコミュニティーが作られたのですが、ポーランドのあちこちでユダヤ人に対する あらたなポグローム(大量虐殺)がはじまり、残っていたユダヤ人の大半が国外に逃れます。1968年にはアラブ ・ユダヤ戦争で共産政権がアラブ側についたため反シオニズム運動が広がり、ユダヤ人が素性を隠さずユダヤ人として生きて行く為には1989年の共産主義の破壊を待たなくてはなりませんでした。その後は再び帰還する人たちなどで少しづつメンバーが増えはじめ現在その数は市全体で約500人ほどだとか。
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