Scarsdale
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日本人とユダヤ人 ある母親の記録 偏見(7)


先日おまえたちの通うユダヤ人学校であり、我が家が属しているユダヤ教会でもある「スカースデール・シネゴ−グ」でユダヤ教のラビ、マービン・トケイヤー師の講演があった。内容は、「シルクロードのユダヤ人」、「日本人の祖先と失われたイスラエル十種族の関係」、「第二次大戦中の日本政府によるユダヤ人救済作戦、『フグ・プラン』」などについて三日にわたるシリーズでそのどれもが日本人とユダヤ人に関するもので、非常におもしろかった。特にイスラエルの失われた謎の十種族がシルクロードを経て日本に定着し日本人の祖先となったのではないかと言う話は確証となるものは残されていないというが、日本人とユダヤ人の習慣や儀式の様々な類似点の指摘はダディやマミ−の想像力を撞き立てるに十分なものだった。    

例えは、奈良時代、平安時代に出役したとされる天狗に関する伝説は単なる想像ではなく、長い鼻をもった赤ら顔の異民族が日本に住んでいた事を示唆しているという説があるそうだ。山伏と呼ばれる山岳信仰のお坊さんたちが額につけている兜巾(これは天狗もつけていたらしい)と言う黒い箱は、おまえたちのお祖父さんが祈りの時に額に結んでいた旧約聖書を収めた小さな小箱、ヒラクティに非常によく似ているのだそうだし、日本の神社で神官がつけている袖ぐりの長い紐や房も言われてみればダディが祈りに使う時のショールにも同じようについている。汚れを清めるものとして塩を使う面慣の共通性とか、ユダヤ人家庭の入り口に張ってあるメズザというお守り札と日本の神棚や台所などにみかける成田山のお守り札などの頬似性は指摘されてみると確かに他では見られない習慣のようだ。

明治維新の初期、横浜に来日したマッ久レオドというスコットランド人は、祇園祭で人々が持って練り歩く木の枝がユダヤの祭礼、スコット(ユダヤ人の祖先が荒野を放浪した記念の秋祭)を思わせ、七本の腕を持った道具がユダヤの燭台、メノラを連想させた事、また神官と古代ユダヤ僧侶の服装がよく似ていることなどからこの祭は旧約聖書に書かれた様々な物語を再現したものであるとし、祇園(ギオン)という名前もシオン(ユダヤの地)が訛ったものと想定したのだという。

この人はそれから日本の歴史や各地の祭礼、食物、衣服、その他の様々な伝統的行事について調べ、日本人だけがその他の東洋民族とは全く違った文化や行動様式を持っていることに気づいた。そしてその謎は東方世界に追放されたというユダヤ十種族が日本に住みついたと考える事で明らかになるとその著書「日本占代史の縮図」で述べているのだそう。そのほかにも例えば古代ユダヤの神殿の壁には菊の紋章が残っているとか、伊勢の皇太神宮の灯籠にはユダヤ人の印であるダビデの星が刻まれていると言った様々な例をあげて日本人=ユダヤ人起源説を主張している人がいるそうだが、どの説も歴史の事実として確証されるまでにはいたっていないらしい。

遠い昔シルクロードを経て日本へやってきたかもしれない人々に思いを馳せるのは刺激があっておもしろいし、ダディとマミーには自分たちの祖先が同じ民族であったなんて考えるだけでも楽しい。ひょっとしたち二人は前世からの縁で結ばれるべくして結ばれたのかもしれないなんてロマンチックな想像に浸ることも出来るしね。それにしても、もしそれが事実であったとしたら、それから何千年もたった後に日本に残った彼らの末裔が世界に散らばった同胞、特にアメリカに定着した同胞を「日本たたきの黒幕」として非難するのは皮肉な事ではないかしら。キリスト教徒のユダヤ観が西洋文明と共に日本にもたらされたのだとはいえ、それよりも何千年か前にはそういう媒介なしにお互いが共存していたとすれば、他人の眼鏡でお互いを見ているような現在のこの風潮を当時の人がどう思うか聞けるものなら聞いてみたいという気がする。              

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